2021年10月18日 礼拝説教 「子供がなく年をとっていた」
2021年10月18日 礼拝説教
「子供がなく年をとっていた」
ルカによる福音書1章1~7節
1節
わたしたちの間で実現した事柄について、
2節
最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。
3節
そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
4節
お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
5節
ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。
6節
二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。
7節
しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。
先週、ルカによる福音書の最後の部分を読みました。今日は、同じルカによる福音書の最初に戻りましたが、順調に進めば、ちょうどクリスマスの季節に、クリスマス物語を読むことになります。献呈の挨拶に当たる4節までの言葉は堅苦しいものです。テオフィロの正体は不明で、ルカについても、あまり多くのことが知られていません。おそらく、裕福な貴族だったテオフィロが、ギリシャ人の医者だったルカのスポンサーとなり、イエス・キリストの生涯を物語としてまとめるように依頼したと思われています。
しかし、イエス様の話をする前に、ルカはこの物語を、ほぼ同じ時期に現れ、イエス様より先に有名になったバプテスマのヨハネの話から書き始めました。イエス様の育ての親はマリアとヨセフでしたが、バプテスマのヨハネの両親は年老いた夫婦、ザカリアとエリサベトでした。このお二人は模範的なユダヤ教徒で、ルカはお二人について「非の打ちどころがなかった」と書いています。当時のユダヤ教の教えからすると、このような夫婦は神様からの祝福の証として、健康とお金と子宝に恵まれるはずでした。その内の一つでも欠けていれば、神様に喜ばれない何かが、その原因だろうと思われました。
この福音書はその考えを完全に否定しています。ルカが描くイエス様は、病気や貧困に苦しむ人たちが、神様の呪いを受けているどころか、神様から特別に愛されているから、必ず幸せになると主張します。だからこそ、子宝に恵まれなかったが、「非の打ちどころのなかった」ザカリアとエリサベトという、年老いた夫婦の話からこの物語が始まります。
万有引力の法則の発見者、アイザック・ニュートンや、歴史上の最高の芸術家とも言われるミケランジェロは、パートナーを持たずに生涯、独身を貫いたと言われています。近代社会は人間に多くの有意義な選択肢を提供してくれます。家族を持つことに増して、大きな使命を背負って生きる方々の生き様を否定するつもりは全くありません。
しかし、一つの生き物の基本形として考えると、男性が生きる目的は妻を迎えて子供をもうけ、死ぬまで家族を養うために働き、いざとなったら妻子が生き残れるように命を捨てることです。同じように、女性の生きる目的は子供を産み育て、子供の命を守り、何が何でも命をつないで行くことです。伝統的な社会では、この使命を果たせないのはとても辛いことでした。戦場に出るのは男性で、沈没船の救命ボートに女性や子供を優先的に乗せたのは、人間にこのような本能があったからです。
現代社会では完全に差別用語になりましたが、エリサベトは当時の女性にとっても、大変屈辱的な言葉だった「不妊の女」と呼ばれていました。不妊の原因の少なくても半分は男性にあると証明されていますが、これは現代医学が登場する前に起きた話です。心が挫けそうになる妻を優しく支えながら、孫も生まれ始めた同年代の仲間を寂しそうに眺めていたのは、誠実な正しい人だったザカリアでした。
ルカが書いたのは「福音書」、つまり嬉しい知らせが書いてある書物です。クリスマス物語は「民全体に与えられる大きな喜び」のメッセージでした。私たち一人一人に喜びを届ける知らせです。ザカリアとエリサベトに、どのようなメッセージが届くでしょうか。来週はこの話の続きを読みます。
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