2021年10月4日 礼拝説教 「まさしくわたしだ」
2021年10月4日 礼拝説教
「まさしくわたしだ」
ルカによる福音書24章33~43節
33節
そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
34節
本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
35節
二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
36節
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。
37節
彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。
38節
そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。
39節
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」
40節
こう言って、イエスは手と足をお見せになった。
41節
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。
42節
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、
43節
イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
「トトロいたんだよ。トトロってちゃんと言ったもん。ほんとだもん!ほんとにトトロいたんだもん!嘘じゃないもん!」「サツキもお父さんも、メイが嘘つきだなんて思っていないよ。メイはきっとこの森の主に会ったんだ。でもいつも会えるとは限らない。」復活したイエス様についての報告を読むと、スタジオジブリの「となりのトトロ」を思い出す人もいると思います。妹のメイは、姉のサツキと父親のタツオにトトロの話をします。しかし、先ほどまでいたトトロはどこにもいないので、メイは説明に困ります。
エマオの村にある家から急に姿を消したイエス様はどこに行ったのでしょう。イエス様を迎え入れた二人は、日が沈んだのを気にせず、暗い中を急いでエルサレムに戻りました。逮捕を恐れていた弟子たちはなおも、厳重に戸締りした家にこもっていました。しかし、彼らの様子に変化が起きていました。イエス様が復活したと騒ぐ婦人たちを相手にもしなかった弟子たちは、ペトロの話を聞いて態度を変えていました。
錯乱状態に陥りやすいと見て、女性の証言を裁判の証拠として認めない時代でしたが、リーダー格の男性がイエス様を見たというので、弟子たちは本気にし始めました。そこで戸口に興奮した様子のクレオパとその連れが現れ、エマオで起きたことについて報告しました。二人の話が終わるや否や、聞き覚えのある声がしました。「あなたがたに平和があるように。」勝手に入って来られるはずがない部屋のど真ん中に突然、イエス様の姿が現れました。
幽霊に違いないと思った弟子たちは恐怖に襲われました。しかし、現れた人物は幽霊にできるはずもないことをしました。くぎの跡がある手足を見せ、体に触らせ、「まさしく私だ。」と訴えかけました。凍り付いたかのように言葉も出ない弟子たちに「何か食べるものはないか。」と言いました。買い物にも行けない弟子たちの手元に保存食の焼き魚しかありませんでしたが、死んだはずの人に差し出すと、おいしそうに食べ始めました。
復活したイエス様は長居することなく、しばらくすると姿を消しました。信じない人は言うでしょう。「妄想だ。弟子たちが見たのは幻覚だ。」中立の立場から弟子たちの主張を検証できる人はいませんでした。しかし、この話は何百年も後にできた伝説の類ではありません。復活を信じるかは信仰上の問題ですが、ある事について、歴史家の見解はほぼ一致しています。イエス様の教えを受けた弟子たちは初めから、復活を事実として大真面目に信じていました。
「生きているイエス様がいたんだよ。手足にくぎの跡がある体にこの手で触ったんだもん。焼き魚を差し出したら目の前で食べたんだもん!ほんとにイエス様いたんだもん!嘘じゃないもん!」彼らにとって、これはUFOを信じるかのレベルの話ではありませんでした。十字架に付けられたイエス様が本当に復活したのであれば、これから一生、どんな犠牲を払ってでも、この方に仕えなければなりませんでした。
その後、ナザレのイエスをうまく片付けたと思ったユダヤ人は、十字架に付けられたイエスが生きていると主張する弟子たちに大いに手を焼くことになりました。「その話をやめないと殺す。」と脅されても、少しもひるむことはありませんでした。復活したイエスとの出会いは臆病な彼らを変身させました。12人の弟子の内、裏切ったユダと、長寿を全うしたヨハネ以外は皆、殉教者になりました。彼らは文字通り、命を懸けてイエス様の復活を伝え続けました。
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