2021年11月1日 礼拝説教 「喜びとなり、楽しみとなる」

202111月1日 礼拝説教

喜びとなり、楽しみとなる

ルカによる福音書1817

8節                  さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、

9節                  祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。

10節             香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。

11節             すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。

12節             ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。

13節             天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。

14節             その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。

15節             彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、

16節             イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。

17節             彼はエリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」

子供がいないザカリアは神殿に仕えるアビヤ組の祭司でした。祭司の子供は皆、祭司の身分を受け継いだので、その数はとても多く、24の組に分かれていました。それぞれの組はローテーションを組んで年に2回、1週間の神殿奉仕のため、エルサレムにやってきました。一日の務めの中で、一番名誉だったのは神殿の中に入り、誰も入ってはいけない至聖所の前に立って香をたくことでした。この行為はイスラエル国民の神に奉げる祈りを象徴するもので、祭司が神殿に入っている間、外で大勢の人が祈りを捧げていました。

この役割を担えるのは、神様の指名を受けた祭司だけで、指名されたと知る方法はくじ引きでした。神様が選んだ祭司が当たりくじを引き、一度この務めを果たしたら、他の祭司に譲ることになっていました。つまり、一生に一度のことでした。ザカリアは一度も当たったことがないまま年をとってしまったので、周りにいる祭司たちは噂をするようになりました。「ザカリアおじさんは何回くじを引いてもいつも外れ。表向きは良さそうな人だが、きっと何かがあるのだろう。そう言えば、あの夫婦には子供がいない。やはり、神様の目はごまかせないね。」

エリサベトは不妊の女。ザカリアはくじ運が悪い祭司。「非の打ちどころがない」ように見えたご夫婦は、どうも、神様に嫌われているようでした。半年ぶりにエルサレムに来たザカリアの心は重かったです。「どうせ今回もダメだろう。」そう思いながら、若い祭司に交じり、くじを引く順番を待ちました。しかし、今回ばかりは違いました。ザカリアは自分の目を疑いました。手に持っていたのは紛れもなく、夢にも見た当たりくじでした。

祭司のしきたりを丸暗記し、練習を重ねていたとは言え、いざ本番になるとザカリアはひどく緊張しました。ユダヤ人は聖なるものを恐れ、その扱いを少しでも間違えたら命がないと信じていました。全国民の祈りを代表して、恐る恐る神殿の奥まで進んだザカリアは香をたき始めました。その時でした。誰もいるはずがない神殿の中に、超自然的なものの気配を感じました。右の方に目を向けると天使の姿がありました。恐怖に怯えたザカリアは思いました。「もはや命がない!」自分がやったことの何かが神様を怒らせ、天使が命を奪いに来たと思いました。

しかし、耳に入った言葉はその真逆でした。「ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子はあなたがたにとって喜びとなり、楽しみとなる。しかし、それにとどまることなく、旧約聖書の最後の預言の言葉を実現させる、特別な人になる。」急な出来事に混乱したザカリアは天使の言葉をうまく呑み込めませんでした。しかし、一つのことは確かでした。彼ら夫婦は神様に忘れられたのではありませんでした。神様は彼らの誠実な生き方をちゃんと見ていました。彼らの苦悩もよく知っていました。

 頑張ってきたつもりだけど、報われなかった。隣にいる人が遊んだり、さぼったりしているのに、何故かいつも美味しいところを持って行く。努力しても無駄ではないか。ルカによる福音書は、そのように思いがちな私たちに当てて書かれました。誰も見ていなくても、何の報酬も期待できなくても、自分の仕事が違う人の手柄にされても、決して自暴自棄になってはいけません。讃美歌21270番に次の歌詞があります。「やさしい目が、きよらかな目が、今日も私を見て下さる。まっすぐに歩きなさいと、見ていてくださる。」 

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