2021年7月5日 礼拝説教 「判断を避けた二人」

 

202175日 礼拝説教

「判断を避けた二人」

ルカによる福音書23112

1節              そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。

2節              そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」

3節              そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。

4節              ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。

5節              しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。

6節              これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、

7節              ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。

8節              彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。

9節              それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。

10節          祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。

11節          ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。

12節          この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。

西洋社会には今に至って、ローマ帝国に対する絶対的とも言える憧れがあります。現代社会の組織的な強さのすべてが、ローマに由来するという考えがあるほどです。圧倒的に強い軍隊と、類を見ない交通網の整備は、地中海周辺に住む人たちの生活を一変させました。ローマ人は限りなく残酷な制度を作りましたが、支配下にある人間を奴隷にしても、公開処刑を実行しても、法律を根拠にすべてを行いました。現代の法治国家、つまり権力者をも法律で縛るという国の形を確立させたのはローマ人だったと言われています。

 ナザレのイエスを殺そうと決めた祭司長の手を縛っていたのは、ユダヤ地方を支配しているローマ人の力でした。命を尊ばない、残酷なローマ人とはいうものの、支配された民族が自分たちの手で死刑を執行することを許しませんでした。命を守るのも奪うのもローマ人であり、ナザレのイエスの最終処分にはローマ総督の同意が必要でした。イエス様の裁判の第二幕はローマ総督の官邸内で始まりました。

 民主的な動きをつぶす近隣国と同じように、帝国の権威への挑戦を絶対に許さなかったのはローマでした。ナザレのイエスがローマに対抗する反逆者だと証明することができるなら、祭司長たちとしては、しめたものでした。イエス様を訴える言葉は裁判の第一幕と違って、「皇帝に税を納めるのを禁じ、自分が王たるメシアだと言っている。」でした。つまり、「ローマ帝国への反逆者を捕まえてあげたので、是非、裁いてください。」と言いたかったのです。気に食わないヤツの校則違反を目撃し、先生にお仕置きするように騒ぎたてる小学生のような有様です。

 そう簡単にこの手に乗らないのはローマ総督、ポンテオ・ピラトでした。ローマの支配に挑む革命家に目を光らせていたローマ軍とは言っても、ナザレのイエスは眼中にもない存在でした。正論をはいて祭司長を困らせる田舎出身の預言者イエスは、ローマ帝国の観点から見ると無害な人物でした。祭司長の要求に応じるつもりはありませんでしたが、ピラトは違う人にたらいを回すことにしました。その違う人とはガリラヤの領主、ヘロデ・アンティパスでした。

 イエス様が生まれた頃、ローマ帝国の属国としてこの地域を治めていたのは「ユダヤ人の王」という称号を持つ、ヘロデ大王でした。亡くなってから三人の息子がその領土を分け合い、その一人はイエス様が育ったガリラヤ地方の領主、ヘロデ・アンティパスでした。エルサレムの都を含む最も広い領土を受け継いだのは長男のアケラオでしたが、このアケラオはローマに領土を奪われ、ユダヤ地方はローマの直轄領になりました。ヘロデ家がローマの総督と仲が良いはずはありません。しかし、この場面でアケラオの弟をたて、ガリラヤ出身のイエスを明け渡すことは、ピラトに都合が良かったです。

 ナザレのイエスに興味があったヘロデは喜びましたが、何を聞いても返事してくれないイエス様に呆れ、散々バカにしてからピラトのもとに返しました。これをきっかけに二人は仲良くなりましたが、肝心なイエス様の扱いという点については、どちらもいい加減な態度を取りました。「ナザレのイエスをどうするか」という、戦国時代の日本の武将を初めとする、多くの権力者を悩ませてきた問題にピラトとヘロデは立ち向かいましたが、特別な信念もないこの二人は、正しい裁きを下して名を残すチャンスを見事に逃しました。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」