2021年7月12日 礼拝説教 「バラバを釈放しろ」
2021年7月12日 礼拝説教
「バラバを釈放しろ」
13節
ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、
14節
言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。
15節
ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。
16節
だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
17節
祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった。
18節 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。
19節
このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。
20節
ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。
21節
しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。
22節
ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
23節
ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
24節
そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
25節 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
ローマ軍はこの日、三人のユダヤ人の処刑を行う予定を立てていました。武力を使ってローマの支配を終わらせようとする熱心党の活動家で、民衆を扇動して暴動を起こした罪に問われた人たちでした。よく目に着く場所に三本の十字架を立て、全土から集まった巡礼者たちの前に三人の惨めな姿を晒し、ローマの支配に逆らうのが如何に愚かであるかを示すつもりでした。その内の一人でバラバという人物は、革命を支持するユダヤ人の間でとても人気がありました。バラバの支持者たちは、お祭りの時に出る恒例の恩赦に期待をかけていましたが、死者まで出した暴動の首謀者を簡単に恩赦してもらえるとは思いませんでした。
これには特別な工夫が必要で、それに向けて普段は仲の悪い祭司長、律法学者と熱心党員の思惑を上手くつなぎ合わせたのはイエス様の弟子、イスカリオテのユダでした。三者を協力させ、ローマ人が処刑すべきなのはバラバではなく、「ユダヤ人の王」と称するナザレのイエスだと言ってピラトに圧力をかけるなら、もしかするとバラバが助かるかもしれないと考えました。意外な事にこの作戦が当たり、騒ぎ立てるバラバの支持者を背景に、大祭司はイエス様への死刑判決を勝ち取りました。
いくら調べてもローマに反抗する行動を取った証拠がない人物を十字架の刑に処する訳には行かないと考えたのはローマ総督のポンテオ・ピラトでした。残酷極まりないローマ人の取柄は、どんなことでも法律に基づいて行うことでした。しかし、ピラトにも弱みがありました。これまで、つまらないことでユダヤ人の反感を買って騒ぎが起きることが多く、ローマ皇帝から統治能力がないという評価を受ける可能性がありました。左遷を恐れる理由があるピラトが望んでいたのは、過越し祭を無事に乗り切ることでした。
ピラトはイエス様をむち打ちの刑にしてから釈放するという妥協案を出しましたが、それならバラバが助からないと悟った群衆の叫び声は最高潮に達し、「ナザレのイエスを十字架に付けろ!」の大合唱が沸き起こりました。死に値することは何もしていませんでした。しかし、「ユダヤ人の王か」と尋ねると、「あなたが言っていることです。」と返事しました。当時は「その通りです。」という意味で使われていた表現でした。ローマの支配を嫌っているユダヤ人でも、ピラトの足を引っ張ろうとするなら、ローマ皇帝に対して謀反を企て人を裁かなかったという噂を広める恐れがありました。
ピラトはとうとう、正しい判断を下すのを諦め、さじを投げました。暴動の首謀者のバラバを釈放し、バラバが掛けられるはずだった十字架にナザレのイエスをかけることで場を収めることにしました。ローマ帝国の果てにあるユダヤ地方を任された一地方長官として、忘れられる存在になるはずだったピラトは人類の歴史を変えることになる裁判を司り、見事な失格者として歴史に名を残すことになりました。
ほとんどの人は平凡な人間で、人生のほとんどは平凡な毎日の繰り返しです。しかし、一生に何度かは運命的とも言える場面に出合いします。平凡そうな人間にも何度かは必ず、非凡な行動が求められる機会がやって来ます。ピラトのように失格者になるか、それともナザレのイエスの後を追って進む人間になるかの分かれ道は今から始まります。突然やって来る人生の正念場に備える時は今です。大切なのは、それを忘れずに日々の生活に励むことです。
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