2021年4月19日 礼拝説教 「原点に戻る日」

 

2021419日 礼拝説教

「原点に戻る日」

ルカによる福音書22716

7節                  過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。

8節                  イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。

9節                  二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、

10節             イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、

11節             家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』

12節             すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」

13節             二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。

14節             時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。

15節             イエスは言われた。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。

16節             言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。」

子供の頃、誕生日が近づくと、とても嬉しい気持ちになりました。プレゼントをもらえるという期待もありましたが、子供社会の力関係は年齢で決まる事が多く、年が一つ増えただけでステータスが大きく上昇するという意識がありました。皇后陛下の雅子様は娘の愛子様の誕生を振り返り、「本当に生まれてきてありがとう。」と言ったのが当時、話題になりました。誕生日を軽く見て、地球が太陽を周り、生まれた時と同じ位置に戻っただけでないかという、冷めた見方もできますが、相手が何歳になっても「あなたが生まれてきて良かった。」と言える日でもあるので、私たち人間は身近な人の誕生日を大事にします。

毎年祝う誕生日と同じように、世界のどこに散らばっていても春分の日が過ぎた頃、ユダヤ人であれば必ず守るのは過越の食事です。毎年、食事が始まると、一番若い子供が質問することになっています。「今夜は、ほかのどの夜とも違うのは何故ですか。」それを聞くと家の主人はユダヤ人の原点、聖書の出エジプト記に書いてある解放の物語を伝えます。「神はエジプト人の奴隷になっていた私たちのうめき声を聞き、重労働の下から導き出し、奴隷の身分から救い出してくださったのは、この夜だからです。」

雨が降らないと古代中東の遊牧民は生活に困り、ナイル川のおかげで食料不足にならない、エジプトの地に一時避難することがよくありました。しかし、遊牧民だったユダヤ人の先祖は家畜と一緒にエジプトに住み着いてしまいました。生活習慣が違うエジプト人に煙たがられ、次第に建築現場の重労働を課せられてエジプト人の奴隷になり、出たくても出られなくなってしまいました。

「過越」と呼ばれるようになったその日の夜、エジプトの地は伝染病に襲われ、王様、ファラオの家族も、身分の低い人の家族もみな、一番上の子供を亡くしました。しかし、その夜、子羊を殺し、家の入り口にその血を塗ったユダヤ人はみな無事でした。菜食主義で、血なまぐさいことを嫌うエジプト人たちは、気味の悪いおまじないをかけられたと思ってパニックを起こし、奴隷として使っていたユダヤ人を一晩の内に国から追い出してしまいました。ユダヤ人は毎年、民族の原点となるこの出来事を思い起こして告白するようになりました。「私たちは奴隷だったことを忘れません。苦しみの生活から救い出してくださった神様をも忘れません。」

逮捕されずにこの夜を迎えたものの、最後の過越を迎えたと悟ったイエス様は、食事の場所を敵に発見されないように工夫を凝らしました。発展途上国では今も、水を運ぶのは女性の役割です。当時も水がめを運ぶ男性は珍しかったですが、これが秘密の合図でした。食事の用意を命じられた弟子たちは、水がめを運ぶ男性の後を追って決められた場所に行くように指示されました。

エジプトから急いで出て行ったユダヤ人は、酵母を使ってパンを膨らませる時間がありませんでした。弟子たちはこれを記念して、膨らませないで焼く、チャパティやトルティーヤのような平べったいパンを用意しました。ユダヤ人は今もこの習慣を守りますが、過越祭の別名は「除酵祭」、つまり「酵母を除く祭り」になったのはこのためです。

敵に発見されることなく、食事の場所に着いたイエス様はほっとした様子で弟子たちに語りかけました。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。」これで始まったのは、レオナルド・ダビンチが描いた絵で有名な、「最後の晩餐」でした。ユダヤ人の解放を記念するこの食事に、世界の歴史を変える別な要素が加わろうとしていました。

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