Posts

Showing posts from April, 2021

2021年4月26日 礼拝説教 「新しい契約」

  2021 年 4 月 26 日 礼拝説教 「新しい契約」 ルカによる福音書 22 章 17 ~ 23 節 17節              そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。「これを取り、互いに回して飲みなさい。 18節              言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」 19節              それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」 20節              食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。 21節              しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。 22節              人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 23節              そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。...

2021年4月19日 礼拝説教 「原点に戻る日」

  2021 年 4 月 19 日 礼拝説教 「原点に戻る日」 ルカによる福音書 22 章 7 ~ 16 節 7節                   過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。 8節                   イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、「行って過越の食事ができるように準備しなさい」と言われた。 9節                   二人が、「どこに用意いたしましょうか」と言うと、 10節              イエスは言われた。「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、 11節              家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』 12節              すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。」 13節              二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。 14節  ...

2021年4月9日 始業式 「サタンが入った時」

2021 年 4 月 9 日 始業式 「サタンが入った時」 ルカによる福音書 22 章 1 ~ 6 節 1節                   さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。 2節                   祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていた。彼らは民衆を恐れていたのである。 3節                   しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。 4節                   ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。 5節                   彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。 6節                   ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。 どの宗教にも、開祖様の生き方を理想とする傾向がありますが、キリスト教にはそれが特に強く、ナザレのイエスを見ると、人間のあるべ...

2021年4月8日 入学式 「世を裁くためではなく、世が救われるため」

  2021 年 4 月 8 日 入学式 「世を裁くためではなく、世が救われるため」 ヨハネによる福音書 3 章 16 、 17 節 16節              神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。  独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 17節              神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。   十字架、ステンドグラス、パイプオルガン。入学式の会場に入った時、皆様の目に飛び込んだのは、キリスト教の代表的な装飾品や楽器でした。しかし、初代の教会には、このような高価な物はなく、人の心を引き付けたのは、聖書が語る「福音」と呼ばれる言葉だけでした。阿部宗教主事が先ほど読んでくださったのは、宗教改革者、マルチン・ルターが「聖書の神髄、福音の縮小版」と呼んだ、キリスト教の要約文とも言える言葉です。 「神は世を愛された。 」それはどういう意味でしょうか。「世」という言葉を自分の名前に置き換えるとよくわかります。「神は、その独り子をお与えになったほどに太郎を愛された。それは太郎が滅びないで、永遠の命を得るためである。神の独り子が遣わされたのは花子を裁くためではなく、花子が救われるためである。」 新入生の皆様は裁判所から「裁き」を受けたことはないと思いますが、これまでの学校生活を振り返ると、数え切れないほどの「裁き」を受けてきたと思います。成績通知表には「できる」とか「がんばろう」などと、曖昧な言葉で記載されていたかもしれませんが、結局は権威がある誰かから「良い」、「悪い」、「ふつう」などと、評価を受けたことになります。その評価は、時には罰のように感じることもあれば、人生の分かれ道になることもありました。 人間社会に価値観がある以上、それに合う物には高い評価、合わない物には低い評価が付きます。「裁き」を受けた時の気持ちは愉快なものとは限りませんが、社会の恩恵を受けて生きている以上はやむを得ないこ...