2021年3月8日 終業礼拝 「イチジクの木」

 

202138日 終業礼拝

「イチジクの木」

ルカによる福音書212938

29節             それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。

30節             葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。

31節             それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。

32節             はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。

33節             天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

34節             「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。

35節             その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。

36節             しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

37節             それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。

38節             民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。

「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。」とイエス様は言いました。聖書の舞台は地中海沿岸なので、ブドウやオリーブの他、イチジクの木も頻繁に登場します。イチジクは漢字で「花のない果物」と書きます。中国語ではその漢字の通り、「無花果」と呼びます。本当は花がたくさんありますが、熟してから実になる「花嚢」という袋状の物に閉まってあるので、外からは見えません。花嚢には小さな入り口があり、そこからイチジクコバチという小さな虫が潜り込んで卵を産み、持ち込んだ花粉を花にこすりつけて授粉します。卵を産んだ後に死ぬイチジクコバチの死体は溶けてイチジクの栄養になりますが、受粉に不可欠なこの虫がいなければイチジクの木は絶滅します。

聖書の舞台が弘前なら、イエス様はサクラやリンゴの木を話題にしたでしょう。4月の下旬にピンクの花が咲くサクラの木は、花が散り始めると葉が出ます。5月に入ってから咲くリンゴの花は、緑色の葉と同時にお目見えします。観察する気持ちさえあれば、東奥義塾の周りにあるリンゴの木は一年中、季節の節目を知らせてくれます。イチジクの木はサクラの木のように鮮やかな花を咲かせないし、リンゴに比べると実の形も地味で、目立たないものです。しかし、よく観察するとイチジクの木からも季節の変化を知ることができます。

ところで、イエス様はここで単に、自然観察を怠らないように勧めているのでしょうか。もちろん、そうではなく、季節の変わり目を教えてくれる木と同じように、時代や人生の節目を教えてくれる周囲の出来事に心に留めるように教えています。イエス様は、神の国が近づく前に兆候があるから、見逃さないように注意を促しています。罠にかかるのは生活態度がいい加減で、お酒の飲み過ぎや、生活の煩いで心が鈍くなった人たちだと警告しています。

高等学校に三つの学年しかないので、卒業式が終わった今、校舎がとても閑散としているように感じると思います。しかし、これも束の間で、来月の今頃、空き教室は新入生で埋まります。この時期は、ここにいる私たちにとってどのような意味があるでしょうか。心が敏感であればすぐにわかると思いますが、校舎のこの有様は、お一人お一人が今、どのような時期を迎えているのかを伝えてくれる季節の知らせです。

二年生は来年の今頃、この場所に自分がいないという事実に目を覚まし、次に進む道を確保する必要性をヒシヒシと感じ始めていると思います。選択肢は無数にあり、選ぶ道によって人生が大きく変わります。何がなんでも、この大事な時期をいい加減に過ごさないでください。一年生も間もなく後輩となる新入生に出会いますが、この一年で、先輩として敬意を受けるに値する人間に成長できたかを反省すべき時を迎えています。

学年を問わず、実力もないのに年が一つ上だからと言って威張っている場合ではありません。新学期の授業開始まで一か月しかありませんが、学力的、体力的、または人格的に鍛えられた自分として新年度を迎えようとするなら、まだ時間があります。目の輝きが今の自分よりもまぶしい、新入生の憧れとなる人間として春を迎えられるよう、一日ごとに少しずつ、力を蓄えてください。

放蕩息子のたとえ話から始まり、月曜日の礼拝ごとにルカによる福音書を学んできた一年でしたが、イエス様の公の生涯は今日の個所で終わりました。新年度はイースターの季節に重なりますが、イエス様の受難物語から始まります。予定通りに進めば、クリスマスの時期が近づくと福音書の最初に戻り、降誕物語を一緒に読むことになると思います。

毎年続いてきた行事の多くを体験できない、今までに例のない一年でしたが、ワクチンの普及などで徐々に明るい兆しが見えてきました。来年も「できない」と言って諦める一年にならないように可能性を見出し、「これならできる」とひらめくことの多い一年にしましょう。一か月後、リセットした気持ちで新品の教科書を開く瞬間に備え、心と体を養い育てる、価値のある春休みをお過ごしください。お一人お一人の新年度に、神様の豊かな祝福がありますように。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」