2021年2月22日 礼拝説教 「解放の時」

 

2021222日 礼拝説教

「解放の時」

ルカによる福音書212028

20節             「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

21節             そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。

22節             書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。

23節             それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。

24節             人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

25節             「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。

26節             人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。

27節             そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。

28節             このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。

私が10代を過ごしたのは1970年代のことでした。ビートルズの存在は解散宣言のニュースで初めて知りましたが、長髪が本格的に流行したのは私の青春時代でした。環境汚染がひどく、人口爆発が起きていると叫ばれ、中東や東南アジアで戦争が起こり、核兵器で人類を滅ぼすに違いないと思われたソ連とアメリカは冷戦の最中でした。日本では、差し迫った地球の滅亡を描く書物、五島勉の「ノストラダムスの大予言」が数百万部売れました。英語圏ではハル・リンゼーの「地球最後の日」が数千万部売れ、その読者の一人は私でした。1999年に惑星と太陽が十字の形に並び、このグランドクロスが原因で天変地異が起きると言われていました。人類が生存できるのは長くてもあと数十年で、中年になる前に自分の人生が終わるという、漠然とした意識がありました。

今日の聖書の個所にあるイエス様の言葉は、似たような状況の下で語られました。宗教的な熱気に駆られ、ローマ帝国からの早期解放を目指す理想主義者たちの影響が強まり、ローマの怖さを知る現実主義者たちは事の成り行きにおびえていました。戦争、飢饉、疫病、地震、異常気象や、天体異変の噂が絶えることなく、民衆の心を不安にさせていました。今の私たちはとても安定した時代に生活していると言えますが、いくつもの都市が焼け野原と化した76年前や、近年続いた震災のことを考えてもわかるように、人類は常に災難と戦乱に向き合って生きてきました。

明確な証拠がないと言う人もいますが、革命家の毛沢東が「天下大乱、情況大好」、つまり「世の中はとても混乱している。状況はとても良い。」と言ったと伝えられています。イエス様も、そのような時にこそ「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」と言いしました。「混乱や悲劇の中から、必ず新しい、より良い世界が生まれるから、気落ちすることなく頭を上げなさい。」と言いました。歴代のクリスチャンたちは戦争や震災の度に「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る。」というイエス様の言葉を信じて「キリストの再臨が近い」と期待し続けてきました。

紀元66年、ユダヤ人の過激派はユダヤ教の大祭司を殺害してからローマの駐留部隊を皆殺しにしました。ローマ軍のシリア部隊はエルサレムを一度包囲しましたが、戦略的な撤退をするとユダヤ人は勝ったと勘違いしました。対照的に、イエス様の弟子たちは師匠の言葉を思い出しました。「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。」

クリスチャンたちはヨルダン川の東にあるペラという町に逃れて命拾いしましたが、エルサレムの結末はひどいものでした。イエス様の言葉通り、徹底的にやられたエルサレムの市民は餓死か、殺害か、奴隷として売られるかの運命のいずれかに会い、文字通り、この世が終わったと思わされる体験をしました。ここでユダヤ国家は完全に消滅しましたが、その中から新しい時代の始まりがあると信じた人たちがいました。

誰も気づかないプライベートなことかもしれませんが、私たちにも受験の失敗、家庭の崩壊、友人との仲たがい、病気、失恋など、個人的に世の終わりに等しいと思える参事を体験することがあります。そのような時があっても、すべてが終わったと思ってはいけません。そのような時にこそ、イエス様の言葉が当てはまるので、心に留めておきましょう。「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」

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