2021年2月1日 礼拝説教 「やもめの家を食い物に」

 

202121日 礼拝説教

「やもめの家を食い物に」

ルカによる福音書204147節、2114

41節          イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。

42節          ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。

43節          わたしがあなたの敵を

44節          あなたの足台とするときまで」と。』

45節          このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」

46節          民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。

47節          「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。

48節          そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

1節              イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。

2節              そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、

3節              言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。

4節              あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

エルサレムにいる律法学者たちは、大工の家に生まれた田舎者イエスを見下し、理屈で攻めればすぐに勝てると思いましたが、イエス様はびくともしませんでした。逆に、イエス様はこの一回だけ、同じ手を使って敵対する彼らに難問を突き付けました。旧約聖書にある王様を称える詩編、110編の初めにわかりにくい言葉があります。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで」と。』

当時の解釈では、後に自分の子孫として生まれるメシアに対して、作者のダビデ王が「私の主」と呼び掛けたことになっていました。しかし、そうなると先祖より子孫の方が偉いということになるので、「おかしいではないか」というのがイエス様の主張でした。学者たちは答えられずに黙り込んだので、イエス様は話題を変えました。

旧約聖書の文面について高尚な議論を持ち掛けられても、互角以上に相手をする教養をイエス様は備えていました。しかし、生活に苦しむ人たちを目の前にして、延々とそのような話に付き合う気はありませんでした。イエス様は、庶民の生活苦を気に留めず、「先生、先生」と持ち上げられることを好み、恰好を付けて心にもない言葉を並べて長い祈りをする人たちを誰よりも嫌い、「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」と言い切ったのです。 

イエス様が特に気にしていたのは、律法学者たちの「やもめの家を食い物にする」行為でした。旧約聖書はユダヤ社会に、一家の大黒柱を失った母子家庭を幸せにする義務を負わせていました。神殿に捧げられたお金はお腹を空かした子供がいる、やもめの手に入ることになっていましたが、どういう訳か、律法を盾に貧しい人たちの苦しみを更に重いものにする、律法学者たちの懐へと消えていました。

その話をしていると、イエス様の言葉を象徴するかのような事が起きました。神殿の賽銭箱にお金を入れる金持ちに交じって、貧しいやもめが、一番低い値の銅貨、レプトン二枚を入れました。賽銭箱に入るお金を受け取るはずだったのは、このご婦人のような人でした。しかし、逆にご利益があるからと信じ込まされ、持っていたわずかなお金を手放してしまいました。

この行為にイエス様が感心したと思ってはいけません。むしろ、あってはならない、「やもめの家を食い物にする行為」だと言いたかったのです。律法学者たちは、大金を捧げることが神様に喜ばれて裕福になる要因だと主張し、ご婦人の貧しさを、僅かなお金しか捧げられないことに結び付けようとする、とんでもない履き違いをしていました。

「この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた・・・乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」と言って、イエス様はその考え方を切って捨てました。どの時代にも、身寄りのないご婦人や老人は騙されやすい立場にいて、貧しい人たちが貧困の連鎖から抜け出すのはとても難しいことです。 

イエス様が今の社会を見たらどのようなことを指摘するでしょうか。経済活性化のために非正規社員の数を増やす必要があり、雇用確保のために最低賃金を上げてはならないと説く学者に反論するでしょう。従業員の生活に責任を持たなくても良いように、低賃金で主婦や学生を雇って大金を稼ぐ企業経営者を糾弾するでしょう。年々、金持ちに有利な方向に変わって行く税金制度を作る政治家に票を入れないように訴えるでしょう。

このような主張をする人たちはもちろん、社会のエリートたちの猛攻撃に遭います。この日から二、三日以内に起きた、ナザレのイエスの結末を見ると、そのことが良くわかるはずです。

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