2020年12月7日 礼拝説教 「権威の正体」

 

2020127日 礼拝説教

「権威の正体」

ルカによる福音書2018

1節                  ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、

2節                  言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」

3節                  イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。

4節                  ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」

5節                  彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。

6節                  『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」

7節                  そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。

8節                  すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

 神殿の管理者である祭司長たちの、はらわたが煮えかえっていました。一年の中で巡礼者の数が一番多い、過ぎ越しの祭りを迎えているというのに、ナザレのイエスの営業妨害に遭い、主な収入源だった、神殿の境内での売り上げが止まっていました。しかし、商人たちを追い出したイエス様は巡礼者、特にガリラヤ地方から集まった巡礼者たちの熱狂的な支持を受けていたので、祭司長は手を出せませんでした。

 彼らの神殿経営が茶番なのは皆に知られていたので、境内を埋め尽くす大群衆に逆らう訳には行きませんでした。方々から集まっていた彼らは、夜になると都の周辺にある宿に戻りましたが、イエス様は彼らと行動を共にしていたので、逮捕する機会をつかめませんでした。

当面は、実力行使を諦め、理論攻めすることにしました。商人たちを追い出したのが正しいのか、正しくないのかの議論になったら分が悪いとわかっていたので、まずは権威の話から始めました。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」

 革命家は権威を倒して自分からそれを奪うので、だれからも与えられる必要はありません。祭司長たちも、紀元前167年に革命を起こした田舎の祭司集団の子孫で、200年も、時代と共に変わる実力者たちと上手く折り合いをつけて地位を保ち続けてきた人たちでした。権威は伝統の力を当てにします。誰もが記憶できる前から続いたものなので、一般庶民は逆らう余地がないと考えます。権威として恐れられる物もののほとんどは、この類のものです。

 時代劇に登場する戦国武将がカッコいいと思う前に、彼らこそ、庶民からみかじめ料をもらっていた、暴力集団の親分だったことを忘れないでください。何代か続いた後に上品な殿様の姿に様変わりしたとしても、そもそも、人殺しの子孫であることに違いはありません。最近は流行らなくなりましたが、以前、「仁義なき戦い」や「ゴッドファーザー」などのやくざ映画が人気を誇ったのは、視聴者が現代版の戦国武将の姿にあこがれを感じたからです。 

 神殿の境内を占拠したイエス様は、二、三年前に処刑された、旧体制の最後の預言者、バプテスマのヨハネからお墨付きを受けていました。一般庶民から、イエス様に劣らないか、それ以上に支持を得たこの人は、ユダヤ人の救済者であるメシヤではないかと噂された人物でした。しかし、ヨハネはそれを否定し、「わたしよりも優れた方が来られる。」と言って、当時は無名の大工、ナザレのイエスを指名しました。

 イエス様同様にバプテスマのヨハネも嫌っていた祭司長が、この預言者の正当性を認めたら、ナザレのイエスの権威を認めざるを得ない羽目に陥ることになりました。しかし、世間では人気絶大のヨハネを否定する勇気がなかったので、判断を求められたら「分からない」と言って逃げました。祭司長のいい加減な態度にあきれたイエス様はそれ以上、相手にすることなく、「それなら、わたしも言うまい。」と返事しました。

 近頃、相続した権威はもちろんのこと、民主的に授かった権威の正統性まで疑わせるできごとが続いています。国民を導くべき方を選ぶ基準として何を参考にすべきでしょうか。抹消される数日前のことでしたが、この時のイエス様にこそ、本当の権威がありました。聖書は私たちに、この方を基準に判断するように教えています。

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