2020年11月9日 礼拝説教 「リスクを負えない人の結末」

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「リスクを負えない人の結末」

ルカによる福音書192031

20節             また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。

21節             あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』

22節             主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。

23節             ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』

24節             そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』

25節             僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、

26節             主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。

27節             ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」

リスクを負う気力と勇気がある、起業家精神を持つ人がいなければ、近代化が起きる事はなく、人類は今もなお、原始的な生活をしていたことでしょう。近代社会を作る上で肝心だった資本主義を簡単に説明すると、収穫または収入を全部消費しないで、手に入った物の一部を取って置く行為から始まります。しかし、取って置くだけではダメで、チャンスに巡り合うとそれを手放し、収穫・収入を更に増やす工夫に当てて店を開いたり、機械を買ったり、人を雇ったりします。

このようなことをするには大なり小なり、冒険心が求められます。取って置くだけなら、収穫・収入が少なくなっても、何とか食べていけます。収穫・収入を増やそうと思い、持ち物を手放して失敗するなら、すべてを失う可能性があります。慎重でまともな人はそのようなことをしません。だからこそ、起業家になる人は少なく、資本家になる人もわずかしかいません。 

僕に1ムナずつ与えた主人は「私が帰って来るまで、これで食べていきなさい」とは言いませんでした。「これで商売しなさい」と言いました。商売をすることはリスクを背負うことを意味します。品物の買い付けに失敗して不良品を手に入れるかもしれません。成功しても運搬中に盗賊に遭ったり、乗っている船が難破したりすることもあるでしょう。無事に持ち帰っても思ったように売れないかもしれません。三人目の僕はこのようなリスクを負いたくなかったです。主人から預かった1ムナを失ってこっぴどく叱られるよりは、大事に保管してそのままお返しした方が良いと考えました。

しかし、この態度は主人を激怒させました。そもそもリスクを負ったのはこの僕ではなく、「いくらにして返せ」と一言も言わないで1ムナを預けた主人の方でした。能力も気力も今一つだったこの僕にお金を預けたら、全額失う可能性があるのは百も承知でした。主人はそれでもチャンスを与えることにして大金を預けました。期待を裏切り、帰ってきた主人を落胆させたのは、この思いを少しも理解しようとしなかった三人目の僕の態度でした。

毎朝の礼拝で聖書の言葉に耳を傾けるのは、教養を高めるためではなく、聖書は神様の言葉として私たちの心に語りかける書物だと信じているからです。1ムナずつ預けられたのは10人の僕のことで、自分には関係ないと思うなら、礼拝堂でこの時間を過ごすことに、あまり意味はありません。10人の僕はたとえ話の登場人物であり、現実の世界で1ムナを預けられたのは、彼らではなく、私たちの方です。

私たちには皆、一つの命、一つの青春、そして一つの人生が預けられています。成功者になる保証がないのに、「これで商売しなさい」と指示されています。志望校に入れる保証も、目指しているタイトルを獲得できる保証も、人を愛する思いに応えてもらえる保証がないのに、勉強するように、練習するように、そして愛するように指示されています。

失敗したくないのは当然のことです。しかし、命をくださった神様は「失敗するな」と言わないで、「これで商売しなさい」と言って私たちの背中を押します。「悪い僕だ」と言われて叱られるのは失敗する人ではなく、チャンスを逃し、才能を眠らせ、アクションを起こそうとしない人です。どのような僕になるかを左右するのは、今日のこの一日の、私たちの一つ一つの選択にかかっています。

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