2020年11月16日 礼拝説教 「子ロバに乗って来た王様」

 

20201116日 礼拝説教

「子ロバに乗って来た王様」

ルカによる福音書1928~40

28節             イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。

29節             そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、

30節             言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ロバのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。

31節             もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」

32節             使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。

33節             ロバの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ロバをほどくのか」と言った。

34節             二人は、「主がお入り用なのです」と言った。

35節             そして、子ロバをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。

36節             イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。

37節             イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。

38節             「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」

39節             すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。

40節             イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

 旧約聖書の最後から二番目の預言者はゼカリヤという人でした。活躍した時代はバビロン帝国の捕虜になっていたユダヤ人の帰国が許された直後のことでした。ユダヤ人は国家を復活させ、ダビデの子孫を王様にしたいと願っていましたが、バビロンを滅ぼしたペルシャ帝国の支配下にあり、夢が実現しそうな気配はありませんでした。その時、ゼカリヤは同胞に希望のメッセージを送りました。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられたもの。高ぶることなく、ロバに乗って来る。雌ロバの子であるロバに乗って。」

 これは民主主義の時代の話ではありません。王様にはカリスマ性が必要で、圧倒的な力を持っている印象を与えないと、一般庶民は相手にしません。民衆の前に姿を現すなら立派な軍馬か、きらびやかな馬車に乗り、輝かしい姿を披露しなければなりません。しかし、旧約聖書を熟知しているユダヤ人はゼカリヤの預言を知っていました。神様が約束してくださった王様が来ると、高ぶることなく、謙虚な姿で、立派な軍馬にではなく、荷物の運搬用に使われるロバの子に乗って来る。

 これまでは革命や、神の国がすぐに来る類の話を厳しく諫めてきましたが、イエス様はここでとうとう、自ら、ユダヤ人の王として姿を現しました。エルサレムの手前にあるベトファゲ村にロバの手配が済んでいました。預かりに行く弟子たちがロバの持ち主と交わす合言葉も決まっていました。「なぜほどくのか」という問いかけに対して「主がお入り用なのです」と返事することになっていました。「王様として来られたお方は、このロバに乗ってエルサレムに入る」というメッセージが込められていました。

 みすぼらしい格好をした田舎の預言者が、ロバに乗ってエルサレムに近づいて来ます。ローマ軍はこの姿に警戒心を抱くはずはありません。預言者ゼカリヤの言葉を知っていたイエス様の取り巻きは一気に興奮しました。新しい王様への忠誠の表れとして、服を脱いでイエス様が乗っているロバが進む道に敷きました。今で言うと政府首脳を迎える時に赤いじゅうたんを敷くような意味がある行為でしたが、これを見た群衆の中から叫び声があがりました。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。」王様を迎える時に使われる旧約聖書の詩編の言葉です。つられるように他の人たちも喜びの声を上げました。「ダビデの子にホサナ。」

 これはまずい。神の国を期待している巡礼者たちが革命的な熱気に包まれ、都の周辺は大騒動になる。そうなるとローマ軍が黙っているはずがない。巡礼者を締め出してお祭りを中止にするかもしれない。これまでのイエス様なら周囲の熱気を冷ます努力をしたでしょうが、今日は違いました。「先生、お弟子たちを叱ってください」と訴える人たちに返事をしました。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」

 この日から一週間もたたない内にイエス様は民衆を惑わす偽物として処刑されました。しかし、信仰ある人たちは知っていました。あの日には間違いなく、王様になるべき方がロバに乗って目の前を通って行きました。指導者たちに拒絶されても、王にふさわしい方が本当にいたという事実を示すことに、大きな意義がありました。まもなく選挙権を持つ皆様なので、心に留めてください。王様にふさわしい人は高級車にではなく、ロバに乗って来ます。

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