2020年9月7日 礼拝説教 「許される罪人」

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「許される罪人」

ルカによる福音書18914

9節                  自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。

10節             「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。

11節             ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。

12節             わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』

13節             ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』

14節             言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

 どこの国に行っても同じなのは、幼児期に、謝るのがとても苦手な子供が多いということです。小さい子供が謝ると、「負けた」という気持ちになり、謝るように促されても、なかなか口を開こうとしません。最後に根負けして「ごめんなさい」と言っても、悔しい思いに襲われ、大泣きすることがあります。成長するに従って心が広くなり、同じ空間に生活することは大なり小なり、互いに迷惑をかけることだと気付き、率先して謝罪できる気持ちが育ちます。そうなると周りから、「大人になった」と言われるようになります。

非を認めるには、それなりに勇気と決断力がいります。日本に来る外国人は以前、この国の文化のルールとして、気まずいことがあったら、躊躇せずに「すみません」と言って謝るように指導されました。あまりしつこく連発すると、返って誠意を感じなくなる場合もありますが、互いに「すみません」という言葉を素直に交換できると、生活上のトラブルのほとんどが速やかに解決されます。

これは日本人の生活の知恵の一部とも言える、日本文化の美しい側面の一つですが、周囲を見渡すと、素直に「すみません」と言える人たちばかりではありません。更に、簡単な「すみません」を通り越し、本当に悪かったと認めて謝罪することは、どこの国に行っても大変なことです。誠意ある謝罪をしても、相手の心に届くとは限りません。謝る度に相手の態度が横柄になる場合もあるので、謝る際に相手をよく見る必要もあります。

週に一回、ルカによる福音書を少しずつ読ませていただいています。飛ばさないで読んでいるので、教会でもあまり聞かない、マイナーな箇所もあり、あまりピンとこない話もあったと思います。しかし、今日の箇所には、イエス様の教えの最も肝心な要素が含まれているので、卒業した後も是非、記憶に留めていただきたい話の一つです。

二人のユダヤ人が祈るために神殿に上ります。お祈りはどこにいてもできますが、神殿は心が落ち着き、神様に近づけるような気になる場所です。一人はユダヤ教の中で最も厳格な流派、ファリサイ派の人で、誰から見ても立派な人物です。 もう一人は、ローマ帝国の手先として、同胞のユダヤ人から税金を集め、誰よりも軽蔑される、嫌われ者です。問題は、この二人の内、神様に祈りを聞いてもらえるのはどちらかということです。

 それはもちろん、正しい生活をしている、立派な人の方に決まっていて、悪い奴なんか、祈ってもバチがあたるだけだと思うかもしれません。しかし、イエス様は、それが違うと言います。すべてがお見通しの、聖い神様の前に立つと、人は皆同じように罪人であり、神様の憐みにすがる以外に、生きて行く術はありません。祈りが聞かれるのは、その事実を認めてへりくだる人であり、自分を正当化する人ではありません。

 そうならないことを望みますが、今後、生きて行く内に失敗や間違った行動が重なり、大変な窮地に立たされることがあるかもしれません。仮にそうなったら、自暴自棄になることなく、心を低くして「罪びとの私を憐れんでください。」と言って、この徴税人の祈りをしてみてください。

旧約聖書の詩編に次の言葉あります。「神の求めるいけにえは、打ち砕かれた霊。打ち砕かれた悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」心から悔いても、人に相手にされるとは限りません。しかし、打ち砕かれた悔いた心は、神様に拒まれることは決してありません。

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