2020年8月25日 始業礼拝 「思いがけない時代に備えて」
2020年8月25日 始業礼拝
「思いがけない時代に備えて」
ルカによる福音書17章26~37節
26節
ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。
27節
ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。
28節
ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
29節
ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
30節
人の子が現れる日にも、同じことが起こる。
31節
その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。
32節
ロトの妻のことを思い出しなさい。
33節
自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。
34節
言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。
35節
二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」
36節
畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。
37節 そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。イエスは言われた。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」
東奥日報は週ごとに本の売上ランキングを発表しますが、今年の春ごろから、新作に交じって、70年以上も前に書かれた作品が上位に入っていました。フランス語の原作が1947年に出版された、アルベール・カミュの「ペスト」です。有名な小説なので、内容は以前から聞かされていましたが、実際に読んだことがなかったので、夏休み中にネットからダウンロードした英語版を読みました。地中海の港町、オランでペストが大流行し、外界との接触が断たれ、死者が急増します。主人公は医者の立場を活かし、必死にペストと戦いますが、オラン市民の大半は可能なかぎり、いつもと変わらない生活をしようとします。
登場人物の反応と、今年の新型コロナウイルスに対する反応に重なる部分が多いので、このタイミングで読むと印象に残ると思います。生活様式まで変える事態に直面すると、人はまず事態の深刻さを否定しようとします。それができなくなると、「もうすぐ、日常に戻れるだろう」と自分に言い聞かせます。更に時間が過ぎ、終わりの兆しがないのに気が付くと、諦めムードに屈し、元気を失い、憂鬱になる人が現れます。
人の命は短く、生きている間、実際に体験できる激変の数は限られています。流行がはやったり廃れたりすることがあっても、自分が生きている社会の基盤が根底から揺らぐのは、思いもしないことです。貯金したお金が突然、銀行通帳から消えることがないと信じて、今買いたいものを我慢してお金を貯めます。通っている学校の卒業証書が突然、無効になることがないと信じて授業料を納め、勉強を続けます。不動産の所有権が奪われることが絶対にないと信じて住宅ローンを組み、何千万円もかけて土地や家を購入します。人は世の中がいつまでもこのまま続くものと思って生活します。
しかし、本の少し長い目で人類の歩みを眺めると、人間が当てにしていた制度そのものが完全に転覆した例がいくつもあることに気が付きます。家庭の大黒柱が戦場に駆り出されて命を落とし、お札が価値を失って紙くず同然になり、一夜にして家や土地を奪われるのは決して稀なことではありません。返って、人として生きることの、ごく当たり前の一部と考えた方が良いのかもしれません。
イエス様の時代に生きていた人たちも、アッという間に生活のすべてが崩壊するとは考えていませんでした。そんな彼らに、イエス様は旧約聖書の中から二つの例を挙げて諭しました。一つはノアの時代に起きた洪水で、もう一つは火山活動で滅びたソドムの街でした。
「ソドム」はありとあらゆる変態行為の代名詞になるほど、とんでもない生活をしている人たちが住んでいる街でしたが、ある日突然、火と硫黄に襲われて滅亡しました。事前に危険を知らされたロトは娘二人と一緒に逃れましたが、ソドムの街に未練があったロトの妻は逃げ遅れ、火山灰に包まれて死にました。この二つの物語の共通する点は、滅びた人たちが災難の直前まで、ごく普通の生活をしていたことです。何の変化もなく日常が続くと思ってごちそうをしたり、畑仕事をしたり、家を建てたり、結婚式まであげていました。
日本の近代史を見ても、平均して一生に一回のペースで社会そのものが激しい変化に襲われます。夏休み中に戦後75年を迎えましたが、国のために命を投げ出すように教育された若者たちは終戦の日、絶対的忠誠の対象があっさりと崩壊するのを目の当たりにしました。その日からわずか77年さかのぼると、君主のために命をささげる覚悟で生きていた武士たちが思いがけなく、大名も侍もいらない世の中を迎えることになりました。
新約聖書時代に生きるユダヤ人の多くは、「神の国」の実現の夢を見ていましたが、現実に迫っていたのは反逆する民族を無慈悲に踏みつぶすローマ軍による国の破壊と、外国に連れて行かれて始まる奴隷生活でした。二人に一人の割合で連れて行かれるので、その時が来たら家や持ち物に執着するのを止め、着の身着のままで「逃げろ!」とイエス様は言いました。
どこに連れて行かれるのかと弟子に尋ねられると、イエス様は謎めいた返事をしました。「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ。」聖書学者の意見が分かれるところですが、「ローマに決まっているだろう。」という解釈ができます。ローマ軍の象徴として鷲が使われていたのは有名な話ですが、軽蔑の意味を込めて、鷲をハゲタカに置き換えた可能性があります。ハゲタカは、死んだ動物の死体を食べる猛禽類で、何羽も上空を旋回すると、その下に動物の死体があるのは一目瞭然のことでした。「火を見るより明らかでないか。」という意味の諺ですが、弟子たちにはイエス様の意図がよく伝わっていたはずです。
新型コロナウイルスが世界各地で猛威を振るい始めた3月頃、大変なことになったという思いがあっても、秋以降の生活に影響が続くと思う人はほとんどいませんでした。「インフルエンザは暖かくなると消える。」というこれまでの常識を当てにし、生活の正常化は遠くないと考えました。5月の下旬、ほとんどの県で新規感染者がゼロになり、終息は間もないという希望が湧いてきました。
夏休みに入ってまさか、毎日のように千人を越える新規感染者が出るとは夢にも思っていませんでした。不思議だったのは、3月は学校に休校を要請してまでウイルスを防ごうとした政府が、慎重な意見を連発する専門家会議を解散させ、経済優先に舵を切ったことでした。ついこの前まで移動を自粛するように呼び掛けていたと思ったら、今度は補助金まで出して旅行を奨励する政策を打ち出しました。夏休みをどう過ごせば良いのか、迷う国民が多かったと思います。
予想もできないことが続く中、これまで元気に過ごしてきた私たちにとって一番辛いのは、今後の見通しがたたないことです。今まで目標にしていたこと、楽しみにしていたことがどうなるのか、答えが分からないまま、新学期を迎えました。しかし、こうなった以上、生徒の皆様には、周囲の状況に左右されない、強い自分を育てていただきたいです。
人に会えなくても孤独に耐えられる強さ。衣食住さえあれば生きていける強さ。先が見えない将来に備えて如何様にも対応できる強さ。防ぎようがなかったこの状況の中から、すべてを前向きに捉え、勝利者になって抜け出して欲しいです。
冬に向かうこれからの数ヶ月間は、生活のあらゆる面で栄養をじっくりと蓄え、新しい年に大きな花を咲かせる備えの時にしていただきたいです。雪が降る頃、振り返ると見違えるほどに成長した自分に気付いて欲しいです。教職員である私たちも、生徒の皆様に負けないように頑張りたいと思います。
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