2020年4月8日 入学式 「わたしに学びなさい」


202048日 入学式
「わたしに学びなさい」

マタイによる福音書112930
29節  わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたし
に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られ
る。
30節  わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。


 大なり小なり、私たちは皆、成功者になりたいと願っています。成り行きで人生を過ごそうと思う人はいないと思います。私たち人間は「現在」という時間を犠牲にしてまで、満足の行く将来に向かう努力をすることの大切さを理解しています。だからこそ、義務教育を終えたばかりなのに、新入生の皆様は、新たな学びの場を求めてこの東奥義塾に集い、入学式の日を迎える事になりました。学ぶことは楽しいこととは限りません。学校案内に載る生徒は皆、笑顔で写っていますが、学びの成果が出るまで、辛い思いをも覚悟しなければならないことは、だれもがわかっていることです。

新約聖書時代のユダヤ人は師匠について学ぶことを「軛を負う」という言葉で表現しました。近代になって見かけることが少なくなった「軛」は、牛が牛車を引く時に首にかける器具のことです。速さでは馬が引く馬車には叶いませんが、二頭の牛の首に軛をかけて牛車を引かせると、安定した速度で、とても重い荷物を引かせることができます。ユダヤ人は貨車や農機具を引く牛の姿を、学習することの比喩として用いました。意志の強い人は独学で学ぶことができますが、効果的に学ぶなら、優れた師匠を探し出し、一定の束縛を受け入れ、じっくりと、長い時間かけて、実力を付けることに専念しなければなりません。

イエス様のような、宗教家の弟子になる人たちは、特に辛い思いをしました。長時間の断食と祈りを強いられ、それが済んでからも、食べ物について厳しい規定を守らされ、普段からも窮屈な思いをしているのに、特別な日になると更に多くの規制をかけられました。このような事をしないと神様に喜ばれないと教えられても、一般庶民の多くは「その軛が負いにくく、その荷は重過ぎる」と感じました。そのような社会環境に生きる人たちに、イエス様は「わたしの荷は負いやすく、私の荷は軽い」と言いました。

自分が「柔和で謙遜」だという人に謙虚さを感じないと言って、この言葉に疑問に抱く方もいますが、イエス様の真意は違うところにありました。一般庶民の日常生活の辛さがわかる人。融通が利かない、近寄りがたい人ではなく、柔軟性のある優しい人。そのように伝えたかったイエス様は、学ぶことに疲れている人たちに向かって言いました。「私に学びなさい。私は今まであなたがたを苦しめて来た教師たちとは違います。辛い思いをさせません。ついて来るなら、心に安らぎが得られます。」

これはキリスト教学校である東奥義塾の門をくぐる一人一人に向けられたイエス様の言葉です。単に、「勉強しなさい」という指示でもなければ、「頑張れ」という掛け声でもありません。これはまず、「飾ろうとしない、有りのままのあなたで良い」という誘いの言葉です。知らないのに知ったふりをしたり、できないのにできるふりをしたりしなくても良いと言っています。東奥義塾の教員たちは高校生としてスタートラインに立つ皆様に、知らないことを前提に親切に教え、出来なくて当たり前と分かって丁寧に指導する決意をもってお迎えします。

更に、この言葉は今まで体験したことのない世界への招待状になっています。東奥義塾に来て、これまで頭をよぎったこともない、新しい発想と出会う覚悟をしてください。興味の範囲を広げ、これまで見えていなかったことを、視野に入れようとする好奇心を抱いてください。違う環境に育った、違う生き方をしてきた人たちと、友だちになる積極性を発揮しください。

軛が負いやすく、荷が軽いのは、仕事の量が少ないとか、練習が楽だという意味ではありません。目標に価値があればあるほど、取り組まなければならないことの数も多く、つぎ込まなければならない力の量も多いのは言うまでもありません。しかし、人の心を挫くのは山の高さでも、負わされる荷物の重さでもなく、先が見えない道のりであり、意味がないと思える労苦です。東奥義塾が皆様に提示しようとしているのは、時間の経過を忘れるほど夢中になれる、輝きのある自分の可能性との出会いであり、今の自分と、納得の行く将来の自分をつなげる道を明らかにする指導です。だからこそ、東奥義塾の軛は負いやすく、荷が軽いのです。

過去に縛られることなく、新しい目標を発見して自ら変わることができるのは、私たち人間にしかない優れた特徴の一つです。新約聖書の中でパウロは次のように言っています。「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」新しい自分に変わろうとする私たちの背中を押してくれる、励ましの言葉です。このような可能性を秘めていると知りながら、イエス様は私たちに語りかけています。「私に学びなさい。」

新入生の皆様。ご入学おめでとうございます。今年の冬は暖かく、雪も少なく、新しく設置されたグラウンドの人工芝は、早くから青々とした姿を現し、元気の良い新入生に踏まれるのを待ちわびていました。間もなく、校舎を囲むリンゴの木に花が咲き乱れ、明日からは毎日、この礼拝堂で全校生徒と顔を合わせることになります。教室は新しい学びに取り組む生徒の熱気に包まれ、広い体育館には、走り回る新一年生の声がこだまするようになります。早くこの環境を好きになってください。心に大きな希望を与える目標に照準を当てて力を出し切ってください。21世紀の世界で、力を発揮できる人間になってください。

保護者の皆様。本当におめでとうございます。大事なご子息、ご息女の教育を私たちにお委ね下さり、心から感謝申し上げます。人類は今この時、昨年まで思いもよらなかった困難に立ち向かい、学校に通うお一人お一人が、安全に生活して活躍できる場所を確保しようと努力しています。しかし、その一方、新しい時代が彼ら、彼女らに突き付ける要求も一段と厳しいものになっています。東奥義塾は背一杯の努力をして21世紀が求めるスキルが身に付く環境を整えました。高くなったハードルにおじけることなく、立派に活躍できる力を身に付けて卒業できるように、私たちと手を取り合って下さい。よろしく、お願い申し上げます。
  
御来賓の皆様。ご多用のなか、新一年生の門出にご列席いただき、誠にありがとうございます。ここにいる新一年生は、新しい世の中で津軽が、そして日本が一目置かれる存在として輝き続けるよう、大事な役割を担う運命を背負っています。落胆することなく、幸せに通じる道から外れることのないように導くのは、大人である私たちの厳粛な勤めです。これから彼ら、彼女らの成長の過程を暖かく見守り、機会ある度にお励ましの言葉を下さるよう、お願い申し上げます。

新入生のお一人お一人が三年後、東奥義塾の教育に裏付けられ、決して変わることのない真理をしっかりと心に刻み、新しい時代の勝利者として、必要な知識と技能を身に付け、このキャンパスから力強く飛び立つことと固く信じ、式辞といたします。

202048
東奥義塾高等学校
塾長 コルドウェル ジョン

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