2020年4月27日 礼拝説教 「広くて深い父の愛」


2020427日 礼拝説教
「広くて深い父の愛」

ルカによる福音書151724

17節             そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18節             ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19節             もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

20節             そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21節             息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22節             しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
23節             それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24節             この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

母の愛は無条件。父の愛は条件付き。母は泥棒になった子供をも受け入れる。父は道から外れた子供を拒絶する。母は子供の存在を愛する。父はその可能性を愛する。世の中に母親と父親の愛の違いについて、数えきれないほどの解釈があります。しかし、このたとえに登場する父親に、一般的な父親論は当てはまりません。受け入れる心があまりにも広く、典型的な父親との違いがとても印象的なので、読者に不思議な感動を与えます。

ニュージーランドにいるいとこの一人は二十代の頃、私の伯父に当たる父親と大喧嘩をしました。その後、何十年も絶好状態が続き、伯父が死んだ時はお葬式にも来ませんでした。欧米社会でこのような話は珍しくはありません。父親は息子に試練を与え、目に叶った大人に育てようとします。立派に育てば良いのですが、理想に合わない場合は無視したり、遠ざけたりすることがよくあります。

聖書は神様の父性を強調していると言われますが、このたとえの父親は、父親的な愛だけではなく、母親的な愛をも表現しています。ユダヤ人たちは厳格な、道を踏み外した者に罰を与える神様のイメージを持っていましたが、イエス様はそれを変えようとしていました。確かに、世の中に正義がなくなれば、不幸になるのは皆です。しかし、一つ一つの過ちに罰が下るなら、まっすぐに立って、世間に顔を向けられる人は何人いるでしょうか。罪を罰するお方でもありますが、神様の赦す心はそれに比べると何倍も大きく、イエス様が強調したかったのは、神様のこの側面でした。

人は地震や津波など、様々な危険に晒されて生きなければなりませんが、私たちを取り囲む自然界も、人間社会もほとんどの場合、命を徹底的に支え、守るものとして機能してくれます。猛獣もいれば、ウイルスもありますが、太陽は地球上の命を可能にする熱と光を送りながら四六時中、燃え続け、どこに目を向けても私たちの栄養となる命が成長して行きます。戦争やテロ、病気や事故で命を落とす人もいれば、老人からお金をだまし取る詐欺師もいますが、社会システムは絶え間なくそのような危険から私たちを守ろうと、必死になって働いてくれます。

目に見えるのは命を育む自然界だったり、絶体絶命の時に助けてくれる、周囲にいる人間だったりします。神様らしき姿はどこにも見当たらないかもしれません。しかし、聖書は、人を支えるこの圧倒的な愛と恵みの背景に、神様の存在があると教えています。遠く離れていたのに、どうしようもなく、情けない我が子の姿を見つけ、憐れに思い、走り寄ってブタの匂いが染み付いた体を抱き、口づけまでするこの父親はだれでしょうか。心を入れ替えてやり直そうとする人間を迎え入れる、憐み深い神様の姿がここに表されています。

どうすれば、このような神様に出会うことができるでしょうか。放蕩息子の悔い改めはその道を教えてくれます。「ここをたち、父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と。」自分の非を認め、自ら変わろうとする決意は、愛と赦しの心を向けて人を待つ神様に近づく第一歩となります。

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