2020年4月20日 礼拝説教 「行き先は豚小屋」


2020420日 礼拝説教
「行き先は豚小屋」

ルカによる福音書151117

11節             また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12節             弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13節             何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
14節             何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15節             それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16節             彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17節             そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。

都合の良い状況が長く続き、根拠もなく当たり前だと思うことがありますが、このような事を既得権益と言います。努力して手に入れた訳でもなく、自分だけ良い思いをしているとわかっていても、奪われそうになると人間は怒り、激しく抵抗します。政治の世界で、「既得権益をなくそう」という言葉をよく耳にしますが、考えて見ると、既得権益の最たるものは親の存在かもしれません。物心がつくと子供は親の世話になるのが当たり前だと思い、堂々とした態度で親の家に住み、そこにある物を使いたい放題にします。

この物語の弟はそのような子供の極端な例だと言えるでしょう。そもそも、親が死んでから子供が財産を受け継ぐのは、誰が決めたことでしょうか。死んだ所有者はもはやいないので、遺産は皆の物という考え方もできます。ほとんどの親は、いつか子供に財産を継がせようと思いますが、この息子はお父さんが死ぬのが待ちきれないと言わんばかりに、遺産の前払いを請求しました。

「馬鹿者!」と言われて追い返されるのが当たり前の状況でしたが、このお父さんは息子の言う通りにしました。しかし、この弟はお父さんの優しさと寛大さに感動することなく、お父さんの目が届かない、干渉されることのない遠い国に行き、お父さんが決して喜ぶことのない生活をして暮らしました。私の身近にこれに近いことをした若者が何人もいます。貧しい学生生活を経て何とかして中流以上の暮らしができるようになった親が、学費と生活費を出して大学に行かせ、子供がそれを当たり前に思って遊び暮らし、卒業できなくなることがよくあります。

日本でこのような若者を何人も見てから、かつては二年半、中国の地方都市で数多くの農村出身の学生の授業を受け持つ機会に恵まれました。小さい頃から両親がほとんど不在で、祖父母に育てられ、少年少女時代はとても寂しかったという話をよく聞かされました。両親は最悪の条件に耐えながら都会の工場で働き、何とかして子供にまともな教育を与えようと思って自分を犠牲にしました。

そのような親を持つ学生の勉強への熱意はさすがに違いました。私は当時、日本円に換算すると五、六万円の月給しかもらっていませんでしたが、食いつくようにして学ぼうとする学生たちに教える授業は、私にとって大きな喜びでした。しかし、それでも両親の思いを裏切って勉強をサボる学生もいました。ある日、遊んでいたのをカンニングでごまかそうとして卒業できなくなり、両親に向ける顔がないと焦って寮から飛び降り自殺をした学生もいました。

たとえ話の弟に話を戻しましょう。いつかは商売をして大儲けをしようと思っていたでしょうか。しかし、まずは手にした大金でそれまで経験したことのない、都会の遊びに没頭しました。いつかは真面目にやろうと思っていたかもしれませんが、とうとうお金を使い果たしました。そこで、「さあ、これから稼いで見せよう」と思った途端、凶作がきっかけで移り住んだ地方の経済が崩壊して金儲けどころではなくなりました。

結末としてユダヤ人が汚れた動物として忌み嫌うブタの世話をしながら、ブタの餌を食べたくなるほど腹を空かせる所まで落ちました。親のありがたみも、命と生活環境を与える神様に感謝する思いをも忘れ、自分のことしか考えない人間が行きつくのはここだと、このたとえが教えています。これは場合によって、外見的に幸せそうな人にも当てはまります。お金と地位があっても耐え難い虚しさを味わい、抜け出す道が見当たらなくなることもあります。しかし、イエス様の伝えたかったのは、ここから抜け出す方法であり、このたとえの続きがそれを教えてくれます。

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