2020年2月10日 礼拝説教 「迷える羊は誰のこと」

2020210日礼拝説教
「迷える羊は誰のこと」

ルカによる福音書151節 ~ 7節

1節              徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。
2節              すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
3節              そこで、イエスは次のたとえを話された。
4節              「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
5節              そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、
6節              家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
7節              言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

 日本には2万頭の羊しかいませんが、世界には11億頭います。これは人に飼われている動物の中では、トップの座を占める牛の15億頭に続く数で、犬や猫よりも多いです。多くの国で、羊毛と羊肉の両面から人を支える羊は生活の必需品です。羊は外敵から身を守る手段がない、とても臆病な動物です。知らない人が近づけばすぐに逃げますが、信頼を置く羊飼いであれば、傍から離れようとしません。

出産の際に母親を亡くした子羊に、哺乳瓶からミルクを飲ませた経験がありますが、離れようとすると「メーメー」と鳴きながら必死について来ました。子羊から向けられた強い気持ちに応えたいという思いもありましたが、いつまでも付き合う訳には行かず、心は辛い気持ちでいっぱいになりました。

特殊な場合を除くと、ニュージーランドの羊は飼い主と深い絆を築くこともなく、あくまでも家畜として一生を終えます。しかし、新約聖書時代の中東では状況が違いました。羊飼いについて行かないと牧草があるところに行けないと知っていた羊たちと、名前をつけて個別に呼んでくれる羊飼いの間に、深い関係が結ばれました。

羊は本能的に他の羊について行く動物なので、まとまった行動をとり、群から離れることが少なく、迷子になると一匹ではなく、集団で行動することが多いです。しかし、なかには群れから離れ、勝手な行動をする性質を持つ羊もいます。囲いのない放牧の時代に、羊飼いはこのような羊に、特別に気を遣う必要がありました。

今日の聖書の箇所は、迷い癖のある羊が群れを離れて姿を消した場合、羊飼いがどのような行動を取るかという問いかけになっています。イエス様の回答は次の通りでした。「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」当時の羊飼いに馴染みがある人には、当然の行動のように思えたので反論はありませんでした。

羊飼いは残った九十九匹が群から離れることなく、危険に晒されないと願って野原に残して行きます。この賭けに出た羊飼いは、探しに行かないと確実に命を落とすあの一匹がどうしても気になり、見つかるまで頭から離れません。

 損得勘定を大事にする現代人は、九十九匹の命を危険に晒すより、放っておけば確実に死ぬ一匹を諦めた方が良いと考えるかもしれません。集団を守るために個人を犠牲にすべきだという価値観もあります。このような人たちは、自分たちが属しているのは、群に留まった九十九匹の方で、見失われた一匹の羊は、自分たちとは関係のない人間だと考えます。

  それとは対照的に、イエス様の例え話の有難みを感じる人は、見失われたあの羊はどこかにいる他人ではなく、正に自分自身であることに気が付きます。猛獣の餌食になるか、飢え死にするか、絶体絶命のピンチに向かっているあの羊は自分であり、羊飼いが諦めないで、必死に探しに出かける迷子になった羊も、自分そのものだと受け止めます。

 聖書は何度も私たち人間を羊に例え、迷い安く、臆病な存在として描写しています。イザヤ書の53章に次の言葉があります。「わたしたちは羊の群れ。道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。」いくら強がっても人は皆、羊のように愚かな、道を誤る生き物です。

迷った人をすぐに切り捨てる社会なら、いずれは自分も切り捨てられます。だからこそ、迷い出る度にほかの用事を投げ出してまで、探しに来る方がいることの有難みがわかります。弱った、死にそうな状態で見つかった羊は、大喜びになってはしゃぐ羊飼いに担がれて帰って来ます。

 イエス様の目には、これほどまでに大事な存在である自分の正体はここにあります。その姿を決して見失わないようにしましょう。

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