2020年1月20日 礼拝説教 「戦陣訓にも負けないイエス様の教え」


2020120日礼拝説教
「戦陣訓の教えとイエス様の教え」

ルカによる福音書1425節 ~ 33

25節          大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
26節          「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
27節          自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
28節          あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
29節          そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 
30節          『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。
31節          また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
32節          もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。
33節          だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」


 二年半前に亡くなった妻の父親は、二十歳になるや否や、軍人として中国に渡りました。父は時々、その頃の思い出話をしましたが、暗記させられた兵隊の心得、戦陣訓の話をすることもありました。太平洋戦争が始まった年に東条英機が出したこの文書の大部分は、今の時代にも通用する道徳的な教えからなっていますが、次の内容も含まれています。原文ではなく、現代語訳を読みます。

「わが国は天皇国家である。天皇の軍隊の風紀と規律の神髄は、天皇に対する絶対服従を崇高な精神とする。進んで死を恐れず、艱難辛苦に堪え、ひとたび命令が下ると、喜び勇んで、生きて帰る望みのない場所に跳び込み、ひとたび死に場所を見つけたら、ある限りの体力、精神力をささげ切り、落ち着いて死ぬことを羽毛のように軽いものと考え、永遠に忠実で勇敢な兵士として名を残すことを武人としての最大の喜びとしなければならない。
  
君主への忠義と親孝行が一致することは、わが国にしかない特別な道徳の最も優れた点であり、国に対する忠義に厚い人たちは、必ずまた、親孝行を尽くす人たちでもある。自分の死骸を戦場に横たえることは、軍人として覚悟しているところであり、たとえ遺骨が郷里に帰らないことがあっても、少しも気に掛けないよう、前もって家族の者によく言い聞かせておかねばならない。」

江戸時代では、藩主のために潔く命を捨てる武士の精神が称えられましたが、近代国家となった日本は、全国民を天皇陛下の臣民、つまり君主に忠誠を求められる国民として扱うようになりました。世界各地で起きた数々の近代国家でも同じような現象が見られ、その結果、何百、何千万人単位で死者が出る大戦が繰り広げられるようになりました。

子供や夫や父親が戦争に行って命を落とすことほど、家族にとって不幸なことはありません。家族の中からだれもが戦争に行くことなく、行ったとしても命を落とすことのない場所に派遣されることを、本音の部分としては願います。しかし、戦陣訓は国家への忠義と親孝行に矛盾はないと教えました。天皇陛下のために命を捨てることは即ち、親に孝を尽くすことになると教えました。

平和主義だったはずのイエス様は何と教えたでしょうか。武器を取り上げて戦うことを許そうとしませんでしたが、自分に従うことが弟子たちの家族にとても辛い思いをさせていたことを十分に認識していたようです。それは「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命も憎む」ことに値することだと理解していました。イエス様の弟子たちは家も職業も家族も捨ててイエス様に従いましたが、彼らにこの世的な見返りと言える物はなく、家族にこの世的な幸せを与えることのないまま、一生を終えました。この話をすれば千円札に顔が載っている野口英世を思い出す人もいるかもしれません。

以前、代官町から駅に向かう通りにとても見苦しい、大きなコンクリートの塊がありました。だいぶ前に取り壊されましたが、建設途中に資金調達が行き詰まり、何年もの間、未完成のまま放置されたビルでした。特別に高い志に大きな犠牲が伴うことが多く、最後までやり切ろうと思うなら、想像以上に辛い思いをすることを覚悟しなければなりません。

三年前に志を立てて入学した三年生の高校生活は間もなく終わろうとしています。笑うことも多かったかと思いますが、誰にも気づかれることなく、泣いたこともあったかと思います。その辛さを耐え抜いた成果は間もなく手に入ります。気を抜くことなく最後までやり切れるように祈りましょう。

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