2019年11月25日 礼拝説教 「孤立を恐れない」


20191125日礼拝説教
「孤立を恐れない」

ルカによる福音書1331節 ~ 35

31節          ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
32節          イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
33節          だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
34節          エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
35節          見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」


今年の920日、世界各地で合わせて400万人、27日に200万人の生徒が集団で学校に行くのを拒み、気候変動対策に取り組むように大人たちに訴えかける抗議行動に参加しました。「未成年者はそのようなことを大人たちに任せ、将来に備えて勉強に専念すべき。」と非難する声もありましたが、運動の指導的役割を果たしたスウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリは反論しました。「我々の将来が消えようとしている時に、将来に備えて勉強することに何の意味があるでしょうか。政治家や一般社会が、最も優れた科学者の結論に目もくれないのなら、同じ科学を教える学校で学ぶことに何の意味があるでしょうか。」
  
この少女は8歳の時に初めて気候変動について学んだ時、不思議に思いました。「もし気候変動が引き起こそうとしている悲劇が事実なら、何故、ニュース番組の話題を独占しないのだろうか。」物事を曖昧にすることを極端に嫌うこの少女の性格は、障害の一種と診断されましたが彼女は言います。「結論は明白です。温室効果ガスの排出が地球環境を破壊しているなら、温室効果ガスの排出を減らすのではなく、すぐに止める他はありません。何もかも白黒を付けたがる私こそ正常です。お金儲けのことを気にするあまり、何もしようとしない大人たちが異常です。」

今から50年前、東京大学の安田講堂に立てこもった全共闘の学生たちは、8,500人の機動隊に排除されて一つの事件に幕が下りました。しかし、立てこもった学生の一人が講堂の壁に書き残した言葉が今も語り継がれています。「連帯を求めて孤立を恐れず、力尽きて倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する。」今になって、当時の学生たちを動かした思想を肯定する人は少ないと思いますが、損得を考えないで信じた通りにまっすぐ進む人間が持つ強さを表す言葉として、どの時代にも通用すると思います。

先週、香港理工大学に立てこもった学生の排除に動いた香港警察の行動を見て、50年前の日本を思い出した人たちも多かったと思います。春から続き、香港の市民生活に大きな影響を及ぼしてきた学生や市民の抗議活動は、民主主義と表現の自由を求める声を頑なに拒む中華人民共和国を動かすには力が弱すぎるようにも見えます。5年前の雨傘革命と同じように、いずれは沈静化するだろうという見方もありますが、暴力的な要素が増し加わるなか、半年以上も続いています。表現の自由や指導者を民主的に選ぶ権利を持たない事態に耐えられない若者がいます。その自由や権利が徐々に削減されて行く中、彼らは持っている唯一の手段、つまり、日常生活を通常通りに送ることを停止するという道を選びました。損得を計算に入れない、覚悟が決まった人たちの運動が繰り広げられました。
  
ファリサイ派の人たちはイエス様に脅しをかけて言いました。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」これはイエス様が育ったガリラヤ地方を治めていた、ヘロデ・アンティパスのことですが、話が進むとイエス様を殺そうとしていたのはこの人ではなく、別の人たちだったことが明らかになります。しかし、イスラエルという国の行方をはっきり見定めていたイエス様は、当たり前の日常を既に捨てていたので、脅されても少しも揺れることなく次のように返事しました。「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。」

人は皆、遅かれ早かれ、良心に従って自由と正義を守り、脅しに屈することなく、損得を考えずに行動しなければならない局面を迎える事になります。国家権力を相手にして戦う必要がなくても、良心に逆らい、正義に目をつぶり、自由を犠牲にしてまで平穏無事な日常を続けることを拒否する必要に迫られる時はいつか来るでしょう。そのような時に判断を間違うことなく、不当な圧力に屈することのないように、在学中のこの時期が、東奥義塾生に相応しい知恵と、揺らぐことのない信念が育つ日々となることを願います。

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2021年11月22日 礼拝説教 「信仰を支える仲間」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」