2019年11月18日 礼拝説教 「狭い戸口」


20191118日礼拝説教
「狭い戸口」

ルカによる福音書1322節 ~ 30

22節             イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
23節             すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。
24節             「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
25節             家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。
26節             そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。
27節             しかし主人は、『お前たちがどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。
28節             あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。
29節             そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。
30節             そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。」


「狭い戸口から入るように努めなさい。」この言葉を聞くと今から6年前の夏、どうすれば日本の高校生がアメリカの一流大学に入学できるかを研修するツアーに参加した時のことを思い出します。ハーバード大学で入学担当者の話を聞き、入学条件の厳しさを知って唖然としました。毎年、4万人を超える受験生が門を叩きに来ますが、大学院を除く学部レベルでは1,650人しか入学できません。学校で一番の成績を取った生徒でも大勢不合格になります。勉強以外のスポーツや芸術など、何かの分野で一流と認められる実績を残す必要もあるので、学力がいくら高くても入学できる保証はありません。

ハーバード大学から歩いて30分くらいの場所にあるMITでは学力だけで入学できると知らされました。しかし、ここでも国際数学オリンピックで優勝した生徒は英語力が足りなかったために落とされました。留学志望者が受けるトーフル試験で100点以上取れないと数学の天才でも駄目でした。シリコンバレーの近所にあるスタンフォード大学では次のように言われました。「昨年、日本から100通以上の入学願書が届きましたが、入学許可が出たのは2名だけでした。」

イエス様の弟子になる条件も緩くなかったです。持ち物をすべて売り払い、売上金を貧しい人たちに施し、無一文になってイエス様について行くのが条件だったので、半端じゃない覚悟が求められました。その上にエルサレムに向かうイエス様は、着いたら逮捕と処刑が待っていると言っていたので、当然の結果、ついて来る弟子の数は減る一方でした。それを気にしてか、支持者の一人は「救われる人の数は少ないのでしょうか。」と尋ねました。

「狭い戸口から入るように努めなさい。入ろうとしても入れない人が多い。」多いのか、少ないのかは言いませんでしたが、イエス様はついて来ようと思っても挫折する人が続出すると言いました。研究目的で目印を付けられたシマウマは標的にされやすくなってライオンに食べられますが、群れに溶け込んでいると生き延びます。人は一般的に群れを成す草食動物のように、はみ出ることなく、皆と同じ流行りに流され、同じように時間を過ごし、同じ選択をすると間違いないだろうと思い、安心して過ごします。

狭い戸口から入る人は、余計な荷物を捨てなければなりません。皆が持っている物がなかったり、皆と遊ぶ時間を作ることができなくなったりします。志の高い人の仲間に入って適当に付き合っているだけでも駄目です。エリート集団の一員になったと思って気を緩めると、気が付いて見たら集団に属さない、自分よりもランクが下だと思った人たちに追い越されます。「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もあります。」

面接試験に臨む三年生はこれまで東奥義塾で過ごした二年半余りについて聞かれます。答えを上手くまとめて場を乗り切る生徒も多いと思いますが、入学以来、目の前にある狭い戸口に、本気になって入る努力をしたのかについて問われ、言葉に詰まる生徒も多いと思います。与えられた時間は短いです。特に一年生と二年生に言います。「あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくる」というイエス様の言葉は、周囲に流され、ぼんやりと過ごす我々への警告です。雑音に耳を貸すことなく、横道にそれることなく、高い志を持って進んで下さい。入ろうとしても入れない人が多い、狭い戸口から入るように努力してください。

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