2019年5月20日 礼拝説教 「知識の鍵を奪う人たち」


2019520日礼拝説教
知識の鍵を奪う人たち

ルカによる福音書1145節 ~ 54節 


45節             そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。
46節             イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。
47節             あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。
48節             こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。
49節             だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』
50節             こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。
51節             それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。
52節             あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
53節             イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
54節             何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
  
ユダヤ教の模範生、清く正しいファリサイ派は、死体が埋まった土地のように汚れている。イエス様のこの辛辣な評価を、すぐそばに立ち、心配そうな表情を浮かべながら聞いている人がいました。ユダヤ人社会の超エリートで、司法試験に合格した弁護士のような役割を果たす、律法の専門家の一人でした。宗教の枠を超え、市民生活のあらゆる分野に絶対的な権威をもっていた階級の人だったので、イエス様が自分たちにまで喧嘩を売るはずがないと信じていました。

しかし、イエス様はたった今、彼らの教えをもっとも忠実に守るファリサイ派を攻撃し、一番弟子にあたる人たちをひどく侮辱しました。「イエス様、それは言い過ぎではないでしょうか。まさか、そのようなおつもりはないと思いますが、今のようなことを言うと、律法の専門家である我々をも侮辱することになります。取返しのつかないことにならない内に、今の言葉を撤回なさってはいかがでしょうか。」
  
気まずい雰囲気を何とか和らげようと思ったのでしょうが、事態はさらに悪化しました。イエス様はついに、ユダヤ人として超えてはならない一線を越え、律法の専門家にまで非難の矢を向けました。イエス様が指摘した彼らの罪は二つありました。まずは「人には背負いきれない重荷を負わせる」ことでした。彼らはユダヤ教の律法を熱心に学びましたが、研究が深まれば深まるほど、庶民が守らなければならないことが、次々と増えて行きました。生活に余裕があるファリサイ派は、ごもっともなありがたい教えとして受け入れましたが、命を何とかつなごうと必死にもがく一般庶民は辛くなる一方でした。

もっとしっかりやれば何かが良くなる。もっと頑張れば成果が伸びる。これは百も承知の事ですが、気力の限界に達した人は、このような訴えをするリーダーを求めません。改革する余地があるのは誰にも分かることですが、難しいのは負担に感じる思いを持たせないで気力を高め、気分が落ち込まないように集団の気持ちを結束させることです。律法の専門家たちは書物を開き、頭の中で自分たちの世界を作り、庶民生活の大変さを理解しようとしませんでした。イエス様の教えは対照的でした。マタイによる福音書の言葉ですが、次のように言いました。「私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」

律法の専門家の二つ目の罪は過去の預言者の記念碑を建てながら、目の前にいる預言者の言葉を無視することでした。聖書には二種類の預言者が登場します。偽預言者と本物の預言者です。偽預言者は耳あたりの良い事を言うので皆に好かれます。本物の預言者は不都合な真実を言うので主流派に嫌われます。有力者は本物の預言者を何とか黙らせようと思い、あの手この手で葬り去ろうとします。しかし、代が変わると偽預言が忘れ去らせ、本物の預言者の主張が正しかったことが証明されます。そこで主流派は彼らの実績を称え、かつての主流派と自分たちの考えが違うと主張します。

日本人に馴染みのある人物をあげるなら、足尾銅山鉱毒事件で活躍した明治時代の活動家、田中正造が良い例だと思います。この方の人生には、現代人の心を揺さぶる多くの要素が詰まっています。機会があれば是非、調べて見てください。どの時代の、どの社会にも本物の預言者がいます。一見は狂人に見えても、話の本質に耳を傾けると、言っていることが本物だと気が付きます。彼らを黙らせようとする主流派の一見、もっともらしい論法に騙されないようにしてください。

「あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」

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