2019年4月9日 始業式 「どこに行っても通用する力」

201949日 始業式
「どこに行っても通用する力」

ヨシュア記19

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。

 吐き気がするほど不安な気持ち。足が震えるほどの緊張。だれでもどこかで、いつか味わったことのある気持ちだと思いますが、私にもそのような記憶があります。最たるものは7歳の時に経験した年度途中の転校でした。特別に危険なことがあるわけでもないのに、手続きを済ませ、転入先の学校の教室に案内されたら、ドアの向こうにいる大勢の知らない子供たちの授業が既に始まっていました。教室の様子と生徒の表情を見て、床に穴が開いて落ちて行くような恐怖を感じました。

 事情があって外国から帰って来たばかりの私は、この子供たちが自分を仲間に入れてくれるはずがないという心配に襲われました。次はどこに行って何をすれば良いのか、皆が分かっているのに、自分だけわからないことが多く、尋ねても良いのかわからない雰囲気の中、必死に皆に合わせようとしながら一日を過ごしました。

 今日の聖書の言葉は、エジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの民を解放し、砂漠の超えて新しい居住地に導いて行ったモーセが、長年仕えてきた従者のヨシュアに話した言葉です。食糧難、水不足、疫病、内輪もめ、敵の攻撃など、何があっても、神様の声が聞こえるモーセがいる内はどうにかなると思って40年もついて行ったヨシュアは、生涯の幕を閉じようとするモーセの姿を見てひどく不安になっていました。

 イスラエルの民の指導を任されようとする従者、ヨシュアの不安そうな表情を見てモーセは情けなく思ったのか、最後の力を振り絞ってカツを入れるようにして言いました。「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」人から生まれた、人の子に過ぎない私がいなくなるのはどうでも良い。

私が頼りにしてきた、より大きな物があるから、あなたも、いつまでも変わらない、目に見えない大きな物を頼りにして進みなさい。生活習慣が違う場所、自分の言葉が通じない場所、今まで通用した力が役に立たない心配がある場所に行っても、心の支えとなるものがあります。「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

慣れ親しんだ日常、気の合う仲間、頼りになる大人を後にし、前進しなければならない時が誰にでもやってきます。昨日、入学式を終えた1年生はもちろんそうですが、2年生と3年生も先週、大なり小なり、そのような時を迎えました。知らない物や相手への不安と恐怖、新しくできた集団の中でやっていけるか自信がない自分との格闘。そんな皆様に、ここが東奥義塾だからこそ、伝えたいことがあります。

今の自分はコンプレックスの塊かもしれません。勉強ができないのは頭が悪いから。スポーツができないのは運動神経が悪いから。モテないのは顔が悪いから。友達と上手く行かないのは性格が悪いから。二人の親から受け取った遺伝子の組み合わせが今の自分を作ったが、それが、どうも上手く行かなかったような気がする。

先日、一代で大変な資産を築き上げた東奥義塾の卒業生が学校に来ました。去年は東奥義塾の生徒一人のスポンサーになり、世界の最先端を動かしながら生きている日本人から学び、現地の高校生と交流するプログラムの費用を払ってくださいました。

昨年は、乗って来たランボルギーニが注目を集めましたが、今年は違うランボルギーニに乗って来ました。志の高い生徒であれば、今年は東奥義塾の生徒を4人までスポンサーしたいと話してくださいました。後ほど、ホームルームでその案内があると思いますが、東奥義塾に在籍していた時代を思い出してその卒業生は言いました。「あの頃の僕はコンプレックスの塊だった。」今になって、年齢が若いのに大成功をおさめ、想像もできないことでしたが、話を聞くと本格的に力を発揮し始めたのは東奥義塾を卒業して間もなくのことだったこと知りました。
  
キリスト教の原点に立つと、人は皆、無作為なDNAの産物ではなく、無限の可能性と価値を持つ、宇宙の創造者の息吹を吹き込まれた、限りなく尊い存在です。これは一個人である私たち一人一人について言えることで、新しい環境に飲み込まれそうになっている今こそ、自分の尊厳を大事にしてください。

孤独で、話し相手のいない存在であることを恐れないでください。無理に愛そう笑いを作ったり、媚びを打ったりする必要はありません。上から目線で話しかけたり、人を笑いのネタにして良い気になっている連中の思い通りになったりしてはいけません。その人たちはその人たち、自分は自分で、優劣がついているように見えても、人と人の違いは微々たるものです。今日から何年何組何番の席はあなたの物で、そこから追い出そうとする、ボス気取りする連中に一寸たりとも譲らないでください。
  
春休み中に我々、東奥義塾の人間の力が思う存分に発揮されました。大学進学の結果の宣伝広告を出した県内の別な私立高校もありましたが、東奥義塾の結果にはるかに及ばないのを見て思いました。我々東奥義塾の人間は強い。剣道は男子も女子も全国選抜大会に行って来ました。男子はベスト16、女子は何と日本一になりました。礼拝堂のこの同じ席に、日本で一番強い高校生が座っていることを深く心に留めてください。我々東奥義塾の人間は強い。

三年生は残念ながら、というよりは名誉なことに、来年の今頃、ここにはいません。卒業式で胸を張って卒業証書を受け取れるよう、持っている力を爆裂させる一年にしてください。皆様にはどこに行っても通用する力が備わっています。今日の聖書の言葉をもう一度読みましょう。

「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」困難がない一年はストーリのないドラマのようなものです。試練はもちろん、大なり小なりやってきますが、最後はイエス様の言葉を一つ引用して式辞といたします。「あなたがたは世では苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」

201849
東奥義塾高等学校
塾長 コルドウェル ジョン

Comments

Popular posts from this blog

2019年3月8日 終業礼拝 「心のメンテナンス」

2024年2月26日 礼拝説教 「同行してくださる神」

2023年7月10日 礼拝説教 「人の心を固くする神」