2019年3月1日 卒業式 「偉大な力によって強くなりなさい」

201931日卒業式
「偉大な力によって強くなりなさい」

エフェソの信徒への手紙610節~13節 

10節             最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
11節             悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
12節             わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
13節             だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
  
「神の武具を身に付けなさい。」これは世界宗教になる課程で、キリスト教の開祖に近い役割を果たしたパウロという人が書いた言葉です。今になってナザレのイエスと並んで教科書に載る人物になりましたが、活動期のパウロは多方面から嫌われ、警戒されていました。ユダヤ人には、外国人との境目を壊し、ユダヤ教の純潔を脅かす民族の裏切り者として憎まれました。ローマ人から見ると、神の子として君臨する皇帝に代わり、ナザレのイエスが神の子だと主張する信仰を言い広める危険分子でした。奴隷と自由人の区別を認めない、パウロの弟子たちの集まりは、奴隷制度で成り立つ、ローマ帝国の社会秩序を乱す目障りな存在でした。

 現状維持を願う人たちにとって、パウロは何としてでも、もみ消したい邪魔な存在でした。しかし、パウロは今で言う、テロリストの類ではありませんでした。若い頃のパウロはナザレのイエスの弟子たちを取り締まる熱心さのあまり、暴力をふるう人でした。しかし、イエスに出会って変えられたパウロは暴力的な生き方から足を洗いました。「神の武具を身に付けなさい。」と教えたパウロは同時に、「私たちの戦いは血肉を相手にするものではない。」と強調しました。

 私の年代が小学生の頃に流行った映画、「燃えよドラゴン」を記憶している人もいるかもしれません。ブルース・リーが師匠から質問を受ける有名なシーンがあります。師匠が尋ねます。「敵の前で何を思う。」ブルース・リーは答えます。「敵などいないと。」格闘家のブルース・リーと比較するつもりはありませんが、パウロも敵の正体を知っていて、それが目の前にいる、血肉を持つ人間ではないことをよく理解していました。つまり、この人さえ倒せば、この人さえいなくなればと思うのは、人生という戦の真の姿に気が付いていない、未熟な弱い人間が思うことだと教えています。

ここにいる卒業生の皆様は、多くの葛藤を乗り越えてこの日を迎えました。卒業してこれから、学校や家族の束縛から自由になって、気持ちが楽になると期待しているかもしれません。しかし、本当の闘いは、襲って来る試練から守ってくれる親や教師から離れる、今から始まります。取った行動や、選択した道に対して容赦なく責任を問う大学のキャンパスや職場に、今から進み出ようとしています。

大学生になる皆様を襲ってくる最初の敵は、生活リズムの緩みかもしれません。午後まで授業がない日があり、夜更かしした次の日に授業を休んでも叱ってくれる人がいません。初めの内は下宿でダラダラしているのが心地よいと感じることがあっても、このような責任を放棄した生活は人の心を空っぽにし、朝になっても起き上がることに意味を感じない日々は、若い心に年齢に似合わない老いをもたらします。

職場に入る皆様を襲うのは、仕事をすぐに覚えられない弱みに付け込む、意地の悪い先輩のいびりかもしれません。間違う度に心無い言葉を浴びせられると勇気がしぼみ、初めて体験する、「下っ端」という身分の辛さが自尊心を引き裂き、しばしば、若い社会人を現実逃避や任務の放棄へと追い込みます。
  
就職、進学を問わず、「皆がやっている」という思いを利用して「周囲の圧力」という敵が襲ってきます。家庭で養われた価値観を失い、人の意見に振り回されて生きている人が大勢います。人間は社会的動物であり、皆と違うのが嫌で、一人でいるのが辛いと感じます。この習性の弊害を研究してきた学者たちが得た結論は極めて厳しいものです。集団が間違った行為を始めると、理性を保って参加しないでいられる人はとても稀な存在です。ほとんどの人は集団に流されて同じ行為に及びます。

そのような私たちに、パウロの言葉が向けられています。「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に付けなさい。」
  
東奥義塾の卒業生は、どんなに困難な状況に襲われても、自分を支える偉大な力があることを知っています。三年間の学びを通して、身体を襲う敵よりもはるかに恐ろしい、心を襲う敵から身を守る方法を習得しました。だからこそ、今日、この礼拝堂から最後の退場をする皆様を、私たちは胸を張って見送ることができます。

連戦連勝を期待しているとは言いません。私たちは150年近い歴史を振り返り、走るべき行程を走り抜いた東奥義塾の大先輩の人生の結末を知っています。彼らは一時的な敗北を喫しても、倒れたまま終わるような人たちではありませんでした。少しばかり先に、大人の生活を体験した私たちも、数えきれないほどの失敗を味わい、何度も倒れました。しかし、その度、偉大な力に支えられていることを知った私たちは起き上がり、気が付いて見ると、しっかりと立っていました。

卒業生の皆様。ご卒業、おめでとうございます。東奥義塾はより良い世界を作るリーダーとして皆様を育てました。世界に羽ばたく、ご活躍を見守りながら、東奥義塾は母校としてここに残り、皆様の実績の一つ一つを心から喜び続けます。人生の様々な局面で再会することになると思いますが、その都度、神の武具に守られ、しっかりと立っている皆様の姿に出会えるものと確信しています。

保護者の皆様。ご子息、ご息女のご卒業、おめでとうございます。十八年余り前に生まれた、あの小さな命は、皆様の愛情を糧として育ち、今日この日、人生を切り開く力を備えた立派な姿で高等学校を卒業することになりました。保護者様の夢と期待を裏切ることなく、一家の代表として、どんな困難にも打ち勝ち、力強い歩みを続けて行くと信じています。
  
ご来賓の皆様。今年度も私たちの卒業式にご参列いただき、まことにありがとうございます。普段から我が校を深く心に留め、教職員である我々を叱咤激励し、今日、卒業する一人一人をこの三年間、励まし、支え、暖かく見守ってくださったことを心から感謝申し上げます。今後も、東奥義塾の制服を身に付ける一人一人に特別な目を注いでくださるよう、お願い申し上げます。

今日ここに集まり、ここから出て行く、尊いお一人お一人の上に、神様の豊かな祝福があることを祈り、式辞といたします。

                   201931
                   東奥義塾高等学校
                   塾長 コルドウェル ジョン

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