2018年4月9日 始業式 「わたしたちはその道を歩もう」

201849日 始業式
「わたしたちはその道を歩もう」

イザヤ書22節~5

2節          終わりの日に主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ちどの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい
3節          多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから御言葉はエルサレムから出る。
4節           主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げずもはや戦うことを学ばない。
5節          ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

 「自分が一番になりたい。」だれにもこのような願いがあると思いますが、その気持ちを前面に出すとひんしゅくを買うので、「とにかくベストを尽くします」と言って謙虚に振る舞う人が多いと思います。応援しているスポーツ選手に関してはどうでしょうか。自分ではなく、憧れている別人を励ます行為なので、かなり派手な応援をしても許される雰囲気がありますが、「自分の国を一番にしたい」という思いはどうでしょう。この一、二年、ほかの国の都合はお構いなしで、自国の利益を主張する大統領や国のリーダーが目立つようになりましたが、個人的な感想を言うと、あまり気持ちの良いものではありません。

 今日の聖書の箇所は、先日、入学式で読まれた箇所との関連が深いですが、自分の国に一番になって欲しいと思う人たちの気持ちが書かれています。今から2,750年くらい前のこと、中近東付近にある、いくつかの強い帝国が競い合い、それまで中堅国家として頑張っていたイスラエルが太刀打ちできなくなり、飲み込まれそうになっていました。それぞれの帝国の中心にある都に、周辺諸国から貢物が運ばれ、都に祭られた神に祈りが捧げられ、訪問者は見聞きした文化を吸収して本国に戻りました。

 その様子を見て、イスラエルの人たちの中にも、新しく力を付けた帝国の都に憧れ、その風習になびく人たちが現れ始めました。その一方、帝国の繁栄が一時的なものであることを悟り、イスラエルの神の教えと、エルサレムにある神殿の優位性を少しも疑うことなく、新しい帝国に目もくれない人たちがいました。イザヤという預言者は、その内の一人でした。

帝国の繁栄が続くのはそう長くないと確信して、イザヤは次のように言いました。「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」

 エジプト、アッシリアやバビロンの軍隊は強い。戦を交えたら一たまりもない。経済力も絶大で、周辺諸国の富が流れるようにその都に集まり、手に入らない物は何もない。しかし、終わりの日に、つまり最後の最後になって、勝つのは軍事力のある国でもなければ、経済が盛んな国でもない。戦争の愚かさを知り、お金持ちになっても幸せになれないことに気付き、世界の人々はイスラエルの都、エルサレムに目を向け、大河のようにそこに向かう。戦争していた国が聖書の言葉に耳を傾け、武器を向け合うことを止め、軍備を捨て、もはや戦うことを学ばない。今になって、エルサレムは決して平和な街になったとは言えませんが、巡礼者の列が途絶えないのはこの都です。

 初めて東奥義塾に勤めた頃から、私はこの「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう」という言葉を、東奥義塾の校舎がある、この小高い丘に重ねてイメージし、心の中で言い換えていました。「多くの生徒と、その保護者は言う。東奥義塾の山に登り、あのステンドグラスとパイプオルガンがある礼拝堂に行こう。東奥義塾は私たちに正しく生きる道を示してくれる。私たちはその道を学び、その道を生きよう。」

 何とまた、おめでたい話をする人だと思うかもしれません。しかし、新しい年度を迎え、在校生の仲間に257名の新一年生が加わり、ただの夢ではないという実感あります。

一年生の皆様。昨年の今頃、まさかこの礼拝堂で賛美歌を歌っている自分がいると思わなかったかもしれません。しかし、この東奥義塾の山に登り、この学校の教えを学ぶ決意をしたこの春の思いは、必ず報われます。東奥義塾は宝の山です。この新しい世界を思う存分に探検し、そこに隠された宝を早く見つけて下さい。必ず、夢中になれるものを探せると確信しています。

二年生の皆様。高校生として一年分の単位を取得して進級できました。黙っていても進級できる義務教育の時と違って、自分の努力で勝ち取った進級です。おめでとうございます。今日から東奥義塾で後輩を持つ身分になりました。一年生のあこがれの対象となる、すてきな先輩になるように心がけて下さい。運動部の選手であれば、最後の高校総体まで一年あまりとなりました。これからが、勝負の年です。中だるみと言われないように頑張って下さい。

三年生の皆様。東奥義塾での最後の年を悔いのないように仕上げてください。来年の今頃、皆様はこの場所にはいません。このことを深く認識して、残された日々を大事にしてください。受験への備えは、夏休みまでが勝負です。全国の三年生が一斉に動き出す秋の季節を迎える前に好位置につけるよう、今の内に努力してください。

最後に、聞いたことがない人がいるとは思えませんが、何回聞いても、心がジーンと来るグリーンの「遥」の歌詞の一部を読み上げて終わります。「傷ついたって笑い飛ばして。傷つけるより全然いい。信じる事は簡単なこと。疑うよりも気持ちいい。誰かに嘘をつくような人になってくれるな。まっすぐにやれ。よそ見するな。へたくそでいい。」

2018年度が一人一人の生徒にとって思い出深い、実りの多い一年になることを心から願い、式辞と致します。

201849
東奥義塾高等学校
塾長 コルドウェル ジョン

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