2018年4月6日 入学式 「新しいことをわたしは行う」
2018年4月6日 入学式
「新しいことをわたしは行う」
イザヤ書43章18~20節
18節
初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。
19節
見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えてい
る。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道
を敷き砂漠に大河を流れさせる。
20節
野の獣、山犬や駝鳥もわたしをあがめる。荒れ野に水を、砂
漠に大河を流れさせわたしの選んだ民に水を飲ませるから
だ。
「神様が戦争に負けた。」今の時代にこのようなことを言えば笑われそうですが、先ほど阿部宗教主事に読んでいただいた聖書の言葉が書かれた頃、国同士の戦争は、それぞれの国が拝んでいる、神同士の戦いだという考え方がありました。国が滅ぼされると、滅ぼされた国の神が戦争に負けたという解釈をしました。
紀元前一千年前後のこと、イスラエルの神の評判はとても良かったです。エジプトで奴隷生活をしていた民族を解放し、ダビデ王の下で周辺国家を圧倒する小さな帝国を治める国へと育て上げたのはイスラエルの神でした。ところが、大帝国時代が始まり、歴史の新しい流れに飲み込まれ、イスラエルは国としての存在を失い、国民のおもだった人たちは遠い国に強制移住させられました。
当然のこととして、このような目に会った彼らの心に、自分たちが拝んでいた神について疑問がわきました。ある人たちは思いました。「イスラエルの神が負けたからもう仕方がない。これからは戦争に勝った国の神に祈ろう。」しかし、次のように思う人たちもいました。
「イスラエルの神がこのような負け方をするはずがない。原因はきっと私たちの悪い行いにある。頭を下げて謝れば、昔のように、またひいきしてくれるかもしれない。」そう思った人たちは祈りました。「神様、あなたの昔のみわざについて私たちは聞いています。この時代に、もう一度、それをくり返してください。」
預言者たちの口を通して答えが返って来ました。「イスラエルの神を誰だと思っているのか。隣の国の神と喧嘩をするような、ちっぽけな神ではない。天と地を造られた神で、我々の国を滅ぼしたあの帝国さえ、勝負できる相手ではない。しかし、『昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。わたしの選んだ民に水を飲ませるからだ。』」
まもなく、その通りになり、イスラエルの民は砂漠を渡って自分の国に帰りました。しかし、国土の姿は昔とは違い、国造りは一からのやり直しでした。愚痴を言う人もいたので、預言者たちはもう一度、考え方を改めるように励ましました。
「誰も見たことのないことが、この地に起きる。誰も聞いたことのないことが、今起きる。祈りは聞かれている。叫び続けよう。荒れ野には道を。荒れ地には川を。新しいことが今この地に起きる。」
私が普段通っている教会の日曜礼拝の初めに、今の言葉を、現代風にアレンジした賛美歌として歌うことがありますが、聖書の神様は新しい冒険をするように私たちを押し出す方であり、古いドラマを再放送するような方ではありません。
キリスト教の礼拝と言えば、古い言葉を使って、古い歌を歌い、古い話を聞く時だと思うかもしれません。聖書は確かに古い本で、とても古い時代の話が書いてあります。しかし、聖書は私たちに昔のことにこだわるのをやめるように教えています。聖書の神様はいつも真新しいことに取り組み、人とともに前進する方として描かれています。
この学校への入学を決意した時、新入生の皆様が特に印象深いと感じたのは、東奥義塾の長い歴史と、古い伝統だったかもしれません。今日の入学式の内容は東奥義塾の伝統そのもので、形式は半世紀以上、何一つ変わっていません。東奥義塾の教育の基盤であるキリスト教主義と国際主義も、揺らぐことなく続いています。しかし、このような変わらない基盤があるからこそ、聖書を通して学ぶ神と同じように、東奥義塾は何度も、誰も見たことのない、真新しいことに挑戦してきました。生徒も教職員も、勇気をふり絞って新たな跳躍に挑み続けてきました。
人は先人から学び、昔の人がやったことに心を留める必要があります。しかし、それは先人がそれまで通りのことをしたからではなく、周囲の人たちをびっくりさせる、誰も考えたことのない、真新しいことを試し、数え切れないほどの困難を乗り越えて成功したからです。彼らがやったことの多くは、今になって世間の常識となり、同じことをして真似しようとしても成功しません。学ぶべきことは、先人たちの心から溢れる勇気と、リスクを背負ってでも、新しいことに果敢に取り組む、彼らのチャレンジ精神です。
廊下を歩くとお気づきのことかと思いますが、東奥義塾の校舎の至るところにWi-Fiのアクセスポイントが付きました。この礼拝堂にも二つあります。端末があってパスワードを打ち込むと、学校のどこからでもインターネットにつながります。これは単に、最新の設備を整えたという程度の話ではありません。県内のほかのどの学校にも見られないことが始まります。学び方そのものが根本から変わります。教育革命が起きます。
1872年に学校が設立され、それからわずか五年後、五名の留学生を海外に送り出した東奥義塾は世界に通じる扉です。今のこの時も、国際教養コースの生徒が一人、ニュージーランドにある姉妹校で一年間の予定で留学しています。クラスメートの多くは十月の修学旅行の際、二週間の予定で同じ学校へ学びにでかけ、現地の家庭でホームステイをします。この日に入学した生徒の皆様の中からも数多く、先輩たちに続いて海外に出かけ、潜在的に持っている多種多様な能力を大きく開花させることを、心待ちにしています。
新入生の皆様。ご入学おめでとうございます。冬の間、雪に覆われた東奥義塾の広々としたキャンパスは、皆様の登校をお待ちしていました。今になって雪が解け、この礼拝堂は日々、皆様の歌声でいっぱいになろうとしています。有り余るほど、スペースがあるグラウンドと体育館は、元気に走り回る皆様の活躍の場になろうとしています。
保護者の皆様。本当におめでとうございます。大事なご子息、ご息女の教育を私たちにお委ね下さり、私たちと一緒に、東奥義塾という名の冒険のスタートラインに立ってくださったことを心から感謝申し上げます。21世紀の社会は、大人になろうとする若者たちに、次から次へと難題を突き付け、どのような力を持っているのかを試そうとします。新しい時代に負けることなく、立派に活躍できる力を身に付けた卒業生としての姿を夢見ながら、私たちと手を取り合って下さるよう、お願い申し上げます。
御来賓の皆様。ご多用のなか、新一年生の門出にご参列いただき、誠にありがとうございます。三年後に予定されている、入試改革への最初の挑戦者となるのはここにいる、東奥義塾の新一年生たちです。これからの三年間、彼ら、彼女らの成長の過程を暖かく見守り、機会ある度にお励ましの言葉を下さるよう、お願い申し上げます。
十年後、社会人となった彼らはどのような社会で生きて行くことになるのでしょうか。今も世の中の最新の動きに、大人である私たちは驚き、戸惑いさえ感じていますが、心配はご無用です。新入生の一人一人が三年後、東奥義塾の教育に裏付けられ、決して変わることのない真理をしっかりと心に刻み、新しい時代の勝利者として、必要な知識と技能を身に付け、このキャンパスから力強く飛び立つことと固く信じ、式辞といたします。
2018年4月6日
東奥義塾高等学校
塾長 コルドウェル ジョン
Comments
Post a Comment