2018年3月1日 卒業式 「あなたがたは力を受ける」
2018年3月1日 卒業式
「あなたがたは力を受ける」
使徒言行録1章3~11節
3節
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
4節
そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
5節
ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
6節
さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
7節
イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
8節
あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
9節
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
10節
イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、
11節
言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」
イエス様が弟子たちと過ごしたのは、わずか三年程度だったと言われています。み教えを聞き、み業を目の当たりにした彼らは幸せな時を過ごしました。弟子たちが体験したことを要約してイエス様は次のように言いました。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者たちや王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
時によって、人の世界観が根本から覆ることがあります。ある種の強烈な体験が物の見方を完全に変えてしまいます。ナザレのイエスに出会った弟子たちは、わずか三年間で別人のようになりました。無学な、魚を取る漁師の仲間が、宇宙の一切の権能を授かった方から、神の国を実現させる使命を受け、全世界に派遣されました。「あなたがたは力を受ける。そして、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」これはイエス様の最後の言葉でした。この言葉を聞き終えた弟子たちは、ナザレのイエスを二度と見ることはありませんでした。十日がたち、指示されたようにエルサレムから離れなかった彼らは突然、強力なエネルギーに押し出され、世界伝道への第一歩に踏み出ました。
入学してから三年。長い人生に比べるとほんのわずかの時間に思えるかもしれません。しかし、イエス様の弟子たちが体験したのと同じように、三年間は人を生まれ変わらせ、以前、持っていなかった力を授けるには十分な時間です。卒業生の皆様も今日、この日、力を受けました。今、受け取った卒業証書は、ただの布に包まれた厚紙ではなく、東奥義塾の卒業生として、授かった力の象徴です。どのような力を受けたのでしょうか。
第一に、卒業生の皆様は学ぶ力を身に付けました。21世紀の特徴の一つは、情報へのアクセスも発信も簡単になり、それが瞬時にできるようになったことです。この新しい環境の中で、学ぶという行為が容易になった部分も数多くありますが、その一方、正確に学ぶことはより複雑になり、今までとは違ったスキルを用いて取り組まなければならない活動になりました。教師が伝達する一つ一つの知識を頭に入れることも大事ですが、この三年間、高等学校に通った目的はむしろ、自ら学び、必要な知識を獲得し、正しい情報と間違った情報を見分ける力を身に付けることでした。東奥義塾での教育は卒業生一人一人に、いかなる分野でもたくましく、学びを続ける力を授けました。
第二に、世間を揺るがす様々な思想や考えに惑わされることなく、まっすぐに、正しい道を進む力を身に付けました。異なった民族や思想の持主が罵り合う中で、最大の敵は外にではなく、自分の心に宿ることを学び、その内なる敵に勝利する方法を学びました。個人間の争いであろうと、国同士の争いであろうと、暴力や武力による解決は真の解決ではなく、世に勝つ最大の武器が愛であることを学びました。東奥義塾での教育は卒業生の一人一人に、どんな罪をも赦す神の愛を体験した上で、周囲の人たちにも、その赦しを発動する力を授けました。
第三に、どんな嵐のなかでも、挫けても仕方がないと思わせる、どんな困難のなかでも、自分は絶対に大丈夫だという確信を抱く力を身に付けました。嵐がやって来るのは明日かもしれません。何十年も先のことかもしれません。確かなのは、人生に嵐が付き物で、いつかは必ずやってくることです。その時はどんな状況に置かれても、忘れないでください。あなたは決して一人ではありません。その時になったら、閉じた目を開いてください。支えてくれる人は必ずそばにいます。周囲を見回してください。道はどこかに、必ず開けてきます。絶望することなくイエス様の言葉を思いだしてください。
「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない。」東奥義塾での教育は卒業生一人一人に、平穏無事な人生を保証するものではなく、人生の危機がやってきても心を乱すことなく、揺らぐことのない岩の上に立つ力を授けました。
最後に、誰も奪うことができない自分の価値を知る力を身に付けました。アメリカ合衆国の独立宣言を作った方たちは次のように言いました。「われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を、与えられている。」このような思想はどこから生まれたのでしょうか。
自然界からでしょうか。生き物は体力、気力、知力、生存力など、様々な能力を持っていますが、その力も立場も決して平等ではありません。人間社会からでしょうか。原始人は別かもしれませんが、少しでも文明が進むと、人間は階層を作り、レベルの高い人と、レベルの低い人がいるという考えに基づいて社会を形成してきました。
人間は生まれながらにして平等であることが自明だと言って、世界にその考えを広めた人たちの共通点は、皆、聖書を学んだことです。東奥義塾の卒業生は聖書の学びを通して、人の命が神から与えられた神聖な物であり、いくら能力がないと悔やんでも、人間として奪われてはならない無限の価値があることを知りました。東奥義塾の教育は卒業生一人一人に、どんな失敗をして、どんな辱めを受け、どんな惨めな思いをしても、神の子供として持つ根本的な価値を疑わない力を授けました。
卒業生の皆様。ご卒業、おめでとうございます。東奥義塾はより良い世界を作るリーダーとして皆様を育てました。世界に羽ばたく、ご活躍を見守りながら、東奥義塾は母校としてここに残り、皆様の実績の一つ一つを心から喜び、忘れることなく期待し続けます。どうか、これから与えられたチャンスを一つも逃すことなく、今から始まる人生を満喫してください。
保護者の皆様。ご子息、ご息女のご卒業、おめでとうございます。十八年余り前に生まれた、あの小さな命は、皆様の愛情を糧として育ち、今日この日、人生を切り開く力を備えた立派な姿で高等学校を卒業することになりました。保護者様の夢と期待を裏切ることなく、一家の代表として、これから展開して行く世の中に濃厚な足跡を遺して行くものと確信しています。
ご来賓の皆様。今年度も私たちの卒業式にご参列いただき、まことにありがとうございます。普段から我が校を、深く心に留め、教職員である我々を叱咤激励し、今日、卒業する一人一人をこの三年間、励まし、支え、暖かく見守ってくださったことを心から感謝申し上げます。今後も、東奥義塾の制服を身に付ける一人一人に特別な目を注いでくださるよう、お願い申し上げます。
今日ここに集まり、ここから出て行く、尊いお一人お一人の上に、神様の豊かな祝福があることを祈り、式辞といたします。
2018年3月1日
東奥義塾高等学校
塾長 コルドウェル ジョン
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