2018年2月19日 礼拝説教 「私の心はどんな土地?」

2018219日礼拝説教
「私の心はどんな土地?」

ルカによる福音書89節~15

9節                  弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。
10節             イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても理解できない』ようになるためである。」
11節             「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。
12節             道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。
13節             石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。
14節             そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。
15節             良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」

二週間前の礼拝で「種蒔きの例え」について話しました。今日の聖書の箇所はその続きで、例え話の解釈になっています。前回は種を蒔く人の立場になって話しました。今回は種を受け入れる土地の側に立って考えたいと思います。

「種蒔きの例え」の種は、「神の言葉」だとイエス様が言いました。聖書の言葉はもちろんの事、私たちを良い方向に成長させるすべての言葉や発想が含まれていると言えます。土地は私たちの心を指しています。良いアドバイス、建設的な意見や、人類の幸せにつながる考えを同じように耳にしても、心の状態の違いによって、全く違う結果が生まれます。

まずは道端のような心を持っている人たちです。暮らしや環境を大きく改善するすばらしいアイディアを発表すると、最初から皆が賛成すると思うかもしれませんが、世の中はそのようには行きません。人間が数人集まれば、その中に道端のような心を持っている人たちが必ずいます。大多数の人たちがそうだという場合もあります。

いくら高学歴で頭が良さそうに見えても、気にくわないやり方、考え方、思想や、時には民族に直面した途端に考えられないほど、愚かなことを言い始めます。他人がこのようなことをすると、すぐに見抜くことができますが、自分がそうなった場合はどうでしょうか。なかなか気が付きません。人は屁理屈を並べる自分の心に騙されることを一番警戒しなければなりません。心に良い種が落ちたのに、最初から拒絶しないように、自分の思いに注意しましょう。

次は石地のような心を持っている人たちです。種が落ちるとすぐに芽が出ますが、根を下ろすことができないので、間もなく枯れます。この人たちは単純で、素直にアドバイスを聞きますが、努力する気持ちがありません。

壁に当たると諦め、周囲の人たちの理解が得られないと気持ちがすぐに冷めてしまいます。そもそも、物事をじっくりと考える習慣がないので、心に落ちた種が本当に良い物なのか判断できません。どの道を選んでも最後までやり切ることがない三日坊主。私たち皆に、思い当たることがあるのではないでしょうか。

三番目はいばらが生え茂った土地のような心を持っている人たちです。種を受け入れますが、他の種をもたくさん受け入れるので、雑草に阻まれて良い種が育ちません。今のこの時代ほど、情報に溢れ、選択肢の多い時代がなかったと思います。志したことであれば、不可能な事がないと言っても良いほどです。

進路指導の際に今まで何度も、かなり高い目標を掲げて来る生徒や保護者に接して来ました。相談を受けて「無理ですよ。」と返事したことはありません。この時代には、不可能というものがほとんどないからです。私は次のように言う事にしました。「他にやりたいことをすべて諦め、何年かかっても良いと心に決め、持っている力をこの一点に集中するなら夢は叶うでしょう。その覚悟はありますか。」そこまで言われると、ほとんどの人は自信を失います。せっかく抱いた目標を下げてしまいます。

最後は良い土地のような心を持っている人たちです。種を素直に受け入れてじっくりと考えます。一度、覚悟を決めたら、周囲の人たちに何と言われてもわき道にそれることがなく、まっすぐに進みます。目標の達成に必要な時間をとるために様々な誘いを断り、つまらないことに時間を奪われないように注意します。このような生き方ができる人は、一粒の小さな種のような力しかなくても、百倍の実を結ぶ成功者になります。皆様がそのような人になることを祈ります。

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