2018年1月15日 礼拝説教 「へそ曲がりに注意」
2018年1月15日 礼拝説教
「へそ曲がりに注意」
ルカによる福音書7章29節~35節
30節
しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。
31節
「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
32節
広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』
33節
洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
34節
人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
35節
しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」
子供たちの遊び方は時代とともに変わります。長男が小学校に入る頃まで、近所の子供たちは外で虫取りや鬼ごっこをしていました。六年後に生まれた次男が同じ年齢になると、外に出ると子供たちの遊ぶ姿はほとんど見られなくなりました。皆、家の中でファミコンをやっていました。二千年前のイスラエルの子供たちはどうだったでしょうか。今で言う「ごっこ遊び」が流行っていたようです。広場に集まり、大人たちのやることを真似して遊んでいました。
始業式で読まれた箇所の続きになりますが、今日の聖書の箇所のテーマは結婚式ごっことお葬式ごっこです。結婚式で大人たちは笛を鳴らして踊りました。お葬式では葬儀用の歌を歌って泣きました。日本の結婚式ではあまり見られませんが、世界各国に夫婦が結ばれたことを祝って踊る習慣があります。「お通夜のような雰囲気」と言えば、シーンとしたイメージを思い描くでしょうが、海を渡って韓国や中国に行くとお葬式はとても賑やかで、亡くなった人を弔うために参列者たちは声を上げて泣きます。一斉に大声で泣く場合もあるので、慣れていない人は異様に感じます。
他の子供たちと遊びたくて広場に出て、「結婚式ごっこなら良いかなあ」と思って笛を吹くが、だれも乗ってきません。「そんな気分じゃないのか」と思って今度はお葬式の歌を歌ってみるが、またも無反応。相手の気分に気を遣ってあげたつもりなのに、一体、どうしたんだろう。遊びたくてモーションを起こした子供は悲しくなって言います。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。お葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』
たかが遊びと思うかもしれませんが、子供たちにとって大事な事です。専門家によると二歳の子供は他の子供と一緒に遊びません。隣同士で一人遊びをしますが、子供同士のコミュニケーションを取ろうとしません。三歳になるとこれができるようになります。四歳になってもできない子供は一生できません。皆と付き合うのが苦手な大人になり、反社会的な行動に出る恐れもあります。
天邪鬼で、へそ曲がり屋なのが恰好良いと思い、仲間の誘いを断り、皆でせっかく楽しい雰囲気を作ろうとするのに、敢えて水を差す子供はやがて、すねやすく、少しでも気に入らないことがあると協力しない大人に成長して行きます。自分だけではなく、周りの人たちのやる気を奪い、暗い消極的な雰囲気を作るようになります。
イエス様とバプテスマのヨハネの流派はかなり違いました。ヨハネは世捨て人のような暮らしをし、食生活が質素で、お酒は全く飲みませんでした。イエス様の財布はいつも空っぽで、必要最小限の物しか持っていませんでしたが、人がたくさん集まるところによく出入りし、誘われたらご馳走をいただき、お酒も飲みました。
両者が向いている方向は同じで、二人とも神の国の実現を目指していました。心のまっすぐな人は彼らの言うことを聞き入れました。しかし、立場や利権を脅かされた人や、心を入れ替える意思のない人はどちらをも毛嫌いしました。
イエス様とヨハネの教えに面と向かって反対できなかった彼らは、どうでも良いことに目を付けてケチをつけました。禁欲的なヨハネは気が狂っていると言ってバカにし、社交的なイエス様はだらしない奴の仲間だと言って非難しました。変わろうとしない自分を正当化するために、相手をこき下ろす口実を必死に探して抵抗しました。
人が熱心に進めようとしていることを非難する前に。協力できないと決めつける前に、もう一度自分の心の暗い部分を正直に見つめる勇気を奮い起してみませんか。反対するのは単に、変わりたくない自分がいるからではないか。気持ちが進まないのは単に、素直について行けない自分に苛立っているからではないか。つまり単に、へそを曲げているだけではないか。
今日の聖書の箇所の目的は、バプテスマのヨハネの話を聞いても、イエス様の話を聞いても、神の国がもたらす幸せに心を閉ざす人にならないように警告することです。それぞれ、自分の置かれた立場に当てはめてみましょう。他人事ではないことに気が付くと思います。
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