2019年1月28日 礼拝説教 「主の祈りー私たちの罪」
2019 年 1 月 28 日礼拝説教 「主の祈りーわたしたちの罪」 ルカによる福音書 11 章 1 節~ 4 節 1節 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 2節 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『 父よ、 御名が崇められますように。御国が来ますように。 3節 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください 。 4節 わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。 』」 昨年の七月、オウム真理教事件に関わった死刑囚十三人が全員処刑されました。世界の国の大部分で死刑制度が廃止され、死刑執行を続ける国が時代遅れで野蛮だという見方が一般的になってきたので、海外メディアもこのニュースを大きく取り上げました。日本のような、犯罪率の低いお上品な国で、未だに死刑があるのかという、驚きの声も聞かれました。日本国内でも、教祖の松本智津夫は仕方ないとしても、その他の十二人の弟子の命まで、一斉に消す必要があったのかという疑問の声がありました。あの特殊な集団に入ってしまった人間の心理を考えると、処刑台に連れて行かれた人たちの中に、自分と大した変わらない、普通の人もいたのではないかという思いを持った人は少なからずいたと思います。 最近起きた大量虐殺の例としてミャンマーのロヒンギャ族を思い起こすと...