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Showing posts from February, 2021

2021年3月1日 卒業式 「この世に勝つ勇気」

  2021 年 3 月 1 日卒業式 「この世に勝つ勇気」 ヨハネによる福音書 16 章 33 節 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、 勇気を出しなさい。 わたしは既に世に勝っている。 」 神は約束してくれなかった。 いつまでも続く青空を。 神は約束してくれなかった。枯れることのない花畑を。 神は約束してくれなかった。雨のない陽だまりを。 悲しみのない喜びを。痛みのない安らぎを。 しかし、 神は約束してくれた。 この日を生き抜く力を。 労苦に報いる憩いを。道を照らす光を。 神は約束してくれた。試練に耐える恵を。 上からの助け を。終わりのない愛を。 皆様がお持ちの讃美歌 21 に載っていませんが、今の言葉は讃美歌の歌詞です。作詞家は若い頃に発症した関節炎が原因で一生、体の自由を奪われました。心を打つ讃美歌を書く作詞家の多くは、この方と同じように、不幸と思われる人生を送ります。不治の病に苦しんだり、最愛の人と悲劇的な別れをしたり、絶望のどん底に突き落とすような経験をします。しかし、想像を絶する辛さの中で、彼らは失望することもなければ、諦めによる落ち着きを求めようともしません。一人残らず、阿部宗教主事が先ほど読んで下さった、キリストの言葉を信じて歩み、多くの人に力を与える言葉を残して生涯を閉じます。  「あなたがたには世で苦難がある。」苦難の大小に違いがあっても、すべての人に当てはまる言葉です。確かに自業自得というものがあり、賢い生き方をすれば、苦難の多くを避けて通ることができます。しかし、いかなる人徳も、いかなる努力も、いかなる信心さえも、苦難を免れる道を備えません。苦難は人を選ぶことなく、やってくる時にはすべての人を襲います。この世に生きている以上、私たち皆に苦難があります。  しかし、イエス様が教えた信仰は決して、諦めて苦難を受け入れ、その場に立ち止まらせるものではありませんでした。苦難をごまかさないで直視しながら、それでも勝ったという事実を確信する、希望を手放さない信仰でした。「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」この言葉を発した時のイエス様は、勝利を目前にしていたと思ってはいけません。受難日の前夜を迎え、夜が明けると惨めな死に方をするのが決定的で、この事実をだれよりも認識し

2021年2月22日 礼拝説教 「解放の時」

  2021 年 2 月 22 日 礼拝説教 「解放の時」 ルカによる福音書 21 章 20 ~ 28 節 20節              「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。 21節              そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。 22節              書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。 23節              それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。 24節              人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」 25節              「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。 26節              人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。 27節              そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 28節              このようなことが起こり始めたら、 身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。 」 私が 10 代を過ごしたのは 1970 年代のことでした。ビートルズの存在は解散宣言のニュースで初めて知りましたが、長髪が本格的に流行したのは私の青春時代でした。環境汚染がひどく、人口爆発が起きていると叫ばれ、中東や東南アジアで戦争が起こり、核兵器で人類を滅ぼすに違いないと思われたソ連とアメリカは冷戦の最中でした。日本では、差し迫った地球の滅亡を描く書物、五島勉の「ノストラダムスの大予言」が数百万部売れました。 英語圏ではハル・リンゼーの「地球最後の日」が数千万部売れ、その読者の一人は私でした。 1999 年に惑星と太陽が十字の形に並び、このグランドクロスが原因で天変地異が起きると言われていました。人類が生

2021年2月15日 礼拝説教 「すべての人に憎まれる」

2021 年 2 月 15 日 礼拝説教 「すべての人に憎まれる」 ルカによる福音書 21 章 12 ~ 19 節 12節              しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。 13節              それはあなたがたにとって証しをする機会となる。 14節              だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。 15節              どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授ける からである。 16節              あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。 17節              また、わたしの名のために、 あなたがたはすべての人に憎まれる。 18節              しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。 19節              忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。 」 人に好かれたいと思うのは当然のことです。嫌われると誰も遊んでくれません。話し相手もいないと、とても辛い思いをします。成長過程の中で、嫌われずに済むスキルを学ぶのはとても大切なことです。好かれる術を知らないまま大人になると、反社会的な行動に走る確率が非常に高くなります。しかし、弟子たちにそれからの見通しを話すイエス様は、聞きたくもないことを言いました。「あなたがたはすべての人に憎まれる。」弟子たちはイエス様のもとで、すばらしい世の中が始まると信じ、自分たちがその新しい世界のヒーローになると期待していました。「すべての人に憎まれる」なんて、考えたこともなかったし、「話が違うじゃないないか」と思ったことでしょう。 初めから武装集団だった世界宗教もありますが、対照的に初代キリスト教は 300 年間、政治力も軍事力もない、弾圧に苦しむ少数宗教でした。イエス様の教えに従って隣人愛にあふれた、平和的な信徒たちに嫌われる理由がなかったと思うかもしれません。しかし、ユダヤ人クリスチャンは異邦人と呼ばれる他の民族を仲間として迎え入れたため、同胞のユダヤ人に憎まれました。

2021年2月8日 礼拝説教 「物でもなければ人でもない」

  2021 年 2 月 8 日 礼拝説教 「物でもなければ人でもない」 ルカによる福音書 21 章 5 ~ 11 節 5節               ある人たちが、 神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。 6節               「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」 7節               そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」 8節               イエスは言われた。 「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』 とか言うが、ついて行ってはならない。 9節               戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」   10節           そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。 11節           そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。 工事が始まって 136 年にもなるのに完成していない大聖堂として有名なのは、バルセロナにあるサグラダファミィリアです。 2026 年に完成する目処がたったと思いきや、新型コロナウイルスの流行で工事がまたも中断し、現在も止まっています。新約聖書時代のエルサレム神殿も同じく、長期にわたって工事が進められた建物で、巡礼者としてエルサレムに上る度にイエス様の弟子たちはその美しくなって行く姿に見とれていたことでしょう。外壁は金の板と純白に近い大理石でできていて、太陽の光を反射する姿を遠くから見ると、雪が積もったという錯覚を起こす効果がありました。   厳かな神殿は人に不思議な力を及ぼします。神聖な物に対する恐れと憧れを引き起こしますが、古代から、権力者は民衆の心を支配する道具としてうまく利用してきました。エルサレムの神殿もいわくつきの建物でした。そもそも、ユダヤ人の神殿は移動式の天幕のようなシンプルな物でした。国民に