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2024年4月22日 礼拝説教 「神様に委ねられた子」

2024 年 4 月 22 日 礼拝説教 「神様に委ねられた子」 サムエル記上  1 章24節~28節、 2 章 11 節、 18 節~ 21 節、 26 節 24節            乳離れした後、ハンナは三歳の雄牛一頭、麦粉を一エファ、ぶどう酒の革袋を一つ携え、その子を連れてシロの主の家に上って行った。この子は幼子にすぎなかったが、 25節            人々は雄牛を屠り、その子をエリのもとに連れて行った。 26節            ハンナは言った。「祭司様、あなたは生きておられます。わたしは、ここであなたのそばに立って主に祈っていたあの女です。 27節            わたしはこの子を授かるようにと祈り、主はわたしが願ったことをかなえてくださいました。 28節            わたしは、この子を主にゆだねます。この子は生涯、主にゆだねられた者です。」彼らはそこで主を礼拝した。 2 章 11節            エルカナはラマの家に帰った。幼子は祭司エリのもとにとどまって、主に仕えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18節            サムエルは、亜麻布のエフォドを着て、下働きとして主の御前に仕えていた。 19節            母は彼のために小さな上着を縫い、毎年、夫と一緒に年ごとのいけにえをささげに上って来るとき、それを届けた。 20節            エリはエルカナとその妻を祝福し、「主に願って得たこの子の代わりに、主があなたにこの妻による子供を授けてくださいますように」と言った。こうして彼らは家に帰った。 21節            主がハンナを顧みられたので、ハンナは身ごもり、息子を三人と娘を二人産んだ。少年サムエルは主のもとで成長した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26節            一方、少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。 どんな親にも、子供が手元から離れる日がやって来ます。その時に味わうのは、とても複雑な、激しい思いです。よくここまで育ってくれたという、感謝の気持ちもありますが、分身のように思えた存在から切り離されることか

2024年4月15日 礼拝説教 「約束の言葉を信じた人」

  2024 年 4 月 15 日 礼拝説教 「約束の言葉を信じた人」 サムエル記上  1 章 12 節~ 20 節 12節              ハンナが主の御前であまりにも長く祈っているので、エリは彼女の口もとを注意して見た。 13節              ハンナは心のうちで祈っていて、唇は動いていたが声は聞こえなかった。エリは彼女が酒に酔っているのだと思い、 14節              彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましてきなさい。」 15節              ハンナは答えた。「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。 16節              はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」そこでエリは、 17節              「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」と答えた。 18節              ハンナは、「はしためが御厚意を得ますように」と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、 彼女の表情はもはや前のようではなかった。 19節              一家は朝早く起きて主の御前で礼拝し、ラマにある自分たちの家に帰って行った。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を御心に留められ、 20節              ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。 ハンナの家族が毎年、神殿があるシロの街にやって来たのは、奴隷生活からの解放を記念する、過越しの祭を守るためでした。神殿と言っても、エジプトから約束の国に向かう途中に組み立てられたテント形式の物で、後にエルサレムに建った立派な物とは違いました。エジプトを出た夜と同じように、家族ごとに子羊を殺して焼き、その肉を分け合って食べました。現代のユダヤ人も毎年、欠かさず、このお祭りのお祝いをしますが、その目的は奴隷だった自分たちの民族の始まりを忘れることなく、救い出してくださった神様を忘れないこと

2024年4月8日 始業礼拝 「諦めないでしがみつく心の祈り」

  2024 年 4 月 8 日 始業礼拝 「諦めないでしがみつく心の祈り」 サムエル記上  1 章 1 節~ 11 節 1節                   エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに一人の男がいた。名をエルカナといい、その家系をさかのぼると、エロハム、エリフ、トフ、エフライム人のツフに至る。 2節                   エルカナには二人の妻があった。一人はハンナ、もう一人はペニナで、ペニナには子供があったが、ハンナには子供がなかった。 3節                   エルカナは毎年自分の町からシロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。シロには、エリの二人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていた。 4節                   いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、 5節                   ハンナには一人分を与えた。彼はハンナを愛していたが、主はハンナの胎を閉ざしておられた。   6節                   彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。 7節                   毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。 8節                   夫エルカナはハンナに言った。「ハンナよ、なぜ泣くのか。なぜ食べないのか。なぜふさぎ込んでいるのか。このわたしは、あなたにとって十人の息子にもまさるではないか。」 9節                   さて、シロでのいけにえの食事が終わり、ハンナは立ち上がった。祭司エリは主の神殿の柱に近い席に着いていた。 10節              ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた。 11節              そして、誓いを立てて言った。 「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」   先週

2024年4月5日 入学式 「僕は聞いております」

  2024 年 4 月 5 日 入学式 「僕は聞いております」 サムエル記上  3 章 10 節 10節        主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。 「どうぞお話しください。僕は聞いております。」 悪天候が続き、岩木山の噴火もあった 1783 年に起きたのは天命の大飢饉でした。食べる物がなく、弘前藩の人口の内、三分の一が餓死し、三分の一が隣の藩に逃げるという、大惨事がありました。明治時代以降は近代化が進み、天命の飢饉のような悲劇は起こりませんでしたが、大正 2 年、つまり 111 年前の 1913 年に同じような規模の大凶作がありました。 県民の大半が農家だった時代に、米の収穫がゼロという村がいくつもあり、蓄えがない農家は皆、生活に困りました。大人たちは食いつなぐために、僅かな賃金でも手に入る仕事を求めて方々に出かけ、子供の世話をすることができなくなりました。 当時の小学校の記録によると、内職や行商の手伝いをさせられ、学校に来られなくなった子供たちが大勢いました。来たとしても勉強の道具が揃わず、着る物も不十分で、運動するとお腹が空くという心配から体育の授業が取りやめになりました。しかし、小学生はまだ良い方で、特にかまってもらえなかったのは入学前の子供たちでした。 世話をしてもらえない子供が事故死したことで心を痛めたのは弘前教会の三代目の牧師、山鹿元次郎でした。この方は本多庸一とジョン・イングの下で洗礼を受けた初代東奥義塾の生徒の一人で、一度は閉校に追い込まれた東奥義塾の、 102 年前の復活の功労者で、その時の理事長になった方です。 救済事業をする制度がない政府に代わって、弘前教会は全国の教会に協力を呼び掛け、大規模な支援事業を行いましたが、この時、全国的にも例のないことを始めました。鷹匠町にある町道場を借りて託児園を開き、次のように宣伝しました。「満三歳から六歳までの幼児を預かります。風呂の設備があり、週に一度入浴させます。園児に昼のご飯をあげます。」今なら不思議なことではありませんが、当時は世間を驚かせました。 大凶作への対応で、一年限りの開園予定でしたが、続けて欲しいという要望が強く、 111 年たった今もこの託児園があります。卒園児もここにいると思いますが

2024年3月7日 終業礼拝 「見捨てられることはない」

2024 年 3 月 7 日 終業礼拝 「見捨てられることはない」 申命記 31 章7節~8節 7節         モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。 8節         主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」 昨年の四月から毎週、月曜日の礼拝で、イスラエル人の奴隷解放と荒野での旅の物語、旧約聖書の出エジプト記から学んできました。古代文明の中で、ナイル川のおかげで洪水や干ばつの影響を受けにくく、浮き沈みの少ない、安定した豊かさを誇っていたのはエジプトでした。その国で奴隷生活を強いられたイスラエル人たちは、過酷な労働に苦しみながら、食べ物と飲み水に不足することはありませんでした。  エジプト脱出の主人公であるモーセは、神様からの命令を受け、エジプト人による束縛を振り切り、イスラエル人の出国を成功させます。共に目指すのは、乳と密が流れる約束の地で、彼らは気持ちを一つにして心を躍らせます。しかし、自由になったことを喜ぶ彼らは間もなく、そのことに代償があることに気が付きます。約束の国に行くには、水にも食料にも乏しい、荒野を渡る必要があり、エジプトで体験した食文化が恋しくなります。直面する状況に一喜一憂するイスラエル人は、指導者モーセに不満をぶつけ、奴隷だった場所のエジプトに戻ろうと言って騒ぎ立てます。 人は自由になって夢の実現に向かう生活に憧れます。しかし、ついに、待ちに待った自由が手に入ると、それを効果的に活用する方法を学ばなければならないことに気が付きます。理想を現実に移そうとすると、困難を前にして諦め、他人が敷いたレールに戻り、そのレールに乗ったまま人生を終える人が多くいます。 年老いたモーセは最後まで気力を失うことなく、いたって元気に過ごしました。しかし、約束の国にはついに足を踏み入れることなく、荒野で息絶えました。その時のモーセに与えられた唯一の慰めは、ピスガの山頂に登り、山の上から約束の国を見渡すことでした。最終目的を果たすことなく人生を終え

2024年3月7日 礼拝説教 「山頂まで行って来た」

  2024 年 3 月 7 日 礼拝説教 「山頂まで行って来た」 申命記 34 章 1 節~ 12 節 1節            モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、 2節            ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、 3節            ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。 4節            主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」 5節            主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。 6節            主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。 7節            モーセは死んだとき百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。 8節            イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。 9節            ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。 10節        イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、 11節        彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、 12節        また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。 公民権運動の活動家、キング牧師の“ I Have a Dream” 「私に夢がある」という題名のスピーチはとても有名です。「私に夢がある。いつか、人は肌の色ではなく、人格の強さで評価さ

2024年3月1日 卒業式 「次の代に託された夢」

2024 年 3 月 1 日 卒業式 「次の代に託された夢」 申命記 31 章 6 節 「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」  子供が大人になるまでに通らなければならない道はとても長く、年月の数では、大人として過ごす時間よりはるかに短いとは言うものの、覚えてもいないほど小さい頃から始まる過程なので、これまでの十八年を振り返ると、一生分と思えるほどの思い出が詰まっていることと思います。今日は、生まれて初めての卒業式ではありません。成長の通過点として、とても大事だった小学校や中学校の卒様式もありました。しかし、その時は卒業したからと言って、これと言った自由が得られた訳ではありません。次の学校に進んでもいろいろな束縛があり、窮屈に思うことも多かったと思います。対照的に、この日の卒業式には決定的な違いがあります。経済的自立はまだ遠く、進もうとする世界にも様々な制約があるかもしれません。しかし、管理を受ける子供として過ごしてきた日々は、この日を境に終了します。 これからは、独自の存在として役に立つ人間になる必要に迫られ、同年代とほぼ同じことを学ばされてきた今までと違って、周囲の人たちと違うことを学び、自分にしかない専門性を極める過程が始まります。姿や恰好に制限がかかり、思うようにセンスを表現できなかった日々も終わり、だれにも強制されることのない、自分に良いと思う描き方ができる人生が始まります。その一方、進むべき道にコースを表示する物はありません。朝起こす人も、門限を強制する人もいなくなります。このような自由を手にする皆様には、多少の不安があるのも否定できないと思います。 昨年の四月から毎週、月曜日の礼拝で、イスラエル人の奴隷解放と荒野での旅の物語、旧約聖書の出エジプト記から学んできました。古代文明の中で、ナイル川のおかげで洪水や干ばつの影響を受けにくく、浮き沈みの少ない、安定した豊かさを誇っていたのはエジプトでした。その国で奴隷生活を強いられたイスラエル人たちは、過酷な労働に苦しみながら、食べ物と飲み水に不足することはありませんでした。  エジプト脱出の主人公であるモーセは、神様からの命令を受け、エジプト人による束縛