2018年10月15日 礼拝説教 「空気を読むだけではダメ」

20181015日礼拝説教
「空気を読むだけではダメ」

ルカによる福音書1025節~29

25節             すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
26節             イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、
27節             彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
28節             イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
29節             しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

ユダヤ人社会の中で律法の専門家の地位はとても高かったです。ヘブライ語の古典を読みこなし、数多くの解釈に精通している、秀才の中の秀才。つまり、超エリートでした。戒律の厳しいイスラム国では、宗教と市民生活の分離がなく、イスラム法の専門家の権威は絶大ですが、彼らと同じように、一般市民の生活に大きな影響を及ぼす人たちでした。この専門家の一人が、質問を出して、正式な学歴のないイエス様の真価を試そうと思い、「規則や教えはたくさんあるが、神様の最も高い評価の証である永遠の命を受けるために、何をすれば良いのでしょうか。」と尋ねました。

流派が違う専門家なら、「ひと言では言えない。律法の規定を一つ一つ覚えて徹底的に守るしかない。」と言ったかもしれません。しかし、この人はイエス様と考えの近い人で、律法の一つ一つの規定よりも、その全体を貫く精神の方が大事だと考えました。つまり、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい。」という思いを、いつも心に留めて行動に移すのが一番大切な事だと言いました。イエス様はその考えに同意しました。

「あなたの国の人たちが一番大事にしている気持ちを一言で表す言葉がありますか。」そのように尋ねられたら、首をかしげる人が多いと思いますが、アメリカ人なら独立宣言を引用して「生命、自由及び幸福追求の権利」と言うかもしれません。日本人なら十七条憲法の「和を以て貴しとなす」を口にするかもしれません。しかし、間違っても、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、天照大神を愛しなさい。」とは言わないと思います。

対照的に、ユダヤ人が一番大事にしているのは最初の「聞け」という意味のヘブライ語にちなんで、「シェマ―」と呼ばれる次の言葉です。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」信仰深いユダヤ教徒は毎日、数回、この言葉を唱えます。ナチのホロコストの時にガス室に送られて最期を迎えたユダヤ人もその時、この言葉を唱えていたという証言が残っています。

人類の幸せでも、世界平和でも、環境保護を願う思いでもなく、一見は掴みどころのない、目に見えない神を、全身全霊、徹底的に愛すことを強調するこの教えから、現代人は何を学べば良いのでしょうか。人間にとって自分や家族の幸せ、国家や会社や所属集団の繁栄以上に大事にするべきことがあるのでしょうか。納得しにくい話かもしれませんが、聖書はあると主張し、それが創造者であり、絶対者である神だと言っています。ローマの信徒への手紙に「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。」と書いています。

夫婦が自分たちの力で子供を作れるはずがなく、生まれて来る赤ん坊の命が神から発し、死んで行く人の命も神に帰るのだから、人はまず、すべてを超えて存在する神に対して責任があると言うのです。もっとわかりやすく言うと、毎日のように変わる自分の趣味や嗜好を追い求め、仲間の価値観に振り回される生き方はダメだと言っています。世間の、日々の雑音に耳を閉ざし、人が持ち得る最高の理想に思いを寄せ、それをひたすら目指して生きる努力の継続が何よりも大事だと教えています。

このように生きている人たちはしばしば、生徒の皆様が生まれる前はあまり使わなかった言葉ですが、「空気を読めない」というレッテルを張られます。皆がやっていることだからとか、雰囲気を壊さないようにとか、皆に合わせようという考えが通用しない場合が多いからです。

今月、ノーベル生理学・医学賞に輝いた本庶佑さんは、「一見、無駄な研究が存在してこそ、高い到達点が可能になる。著名な科学誌に書いてあることの九割は嘘。教科書に書いてあることも間違っていることが多い。」と言って話題を呼びました。本庶さんは神様のことではなく、科学的な考えを持つ事について言っていましたが、標準的な価値観に満足せず、最も高い理想にこだわる生き方を勧めているという意味では、共通点があると思います。

唯一の神を信じ、ことのほかこの神を愛している人たちの行動が、時には常識はずれだと思われても、別の見方をするなら、人類を最も進歩させ、一般大衆の一番醜い行動にブレーキをかけてきたのも、このような人たちだったことを、心に留めておきたいと思います。

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