2018年9月25日 礼拝説教 「本当に喜ぶべきこと」

2018925日礼拝説教
「本当に喜ぶべきこと」

ルカによる福音書1017節~20

17節             七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」
18節             イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。
19節             蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。
20節             しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」

七十二人が帰って来ました。九月の最初の礼拝を思い出してください。この人たちはイエス様の予備軍のような存在で、お金もなく、裸足のまま送り出された人たちでした。狼の群れに小羊を送り込むようなものだと言われた彼らは、イエス様の精鋭部隊ではなく、身分的には名前も記されていない、見習いでした。さんざんにいじめられ、傷ついた足をかばい、腹をすかし、泣きそうになって帰って来るかと思ったら、まるで逆のことが起こりました。

病人を癒しなさいと指示された彼らは、思いのほか、十二弟子も苦手な悪霊追い出しにも成功したので、有頂天になっていました。「この紋所が目に入らぬか。ここにおわす方をどなたと心得る。」と言わんばかりに、ナザレのイエスの名を名乗ると、敵がこぞって兜を脱ぐので、七十二人はとても気を良くしていました。この様子を見たイエス様は満足げに言いました。「蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。」裸足で送り出した人たちに、蛇やさそりを踏みつけても害が及ばないと言ったイエス様は、彼らがあげた成果を聞かされ、悪魔の国の滅亡と、神の国の勝利を確信しました。

優勝トロイフィーを勝ち取った、子供のようにはしゃぐ弟子たちの姿を見て、イエス様は大満足でした。しかし、心配なこともありました。「喜ぶのは良いが、本当に喜ぶべきことを忘れてはいないか。悪霊の服従に気分をよくする前に、もっと大事なことがあるのではないか。自分たちの名前が天に書き記されていることを心に留めているか。」

比喩として理解すれば良いと思いますが、聖書のあちらこちらに、神様は大きな電話帳のような本を持っている方として描かれています。本を開くと名前がぎっしりと詰まっています。名前が載っている人は、災難の時に宝のように大事にしてもらえますが、載っていない人はひどい目に合います。教会では昔から、死んでから天国に行ける人の名簿だという説明が一般的でした。

本当に喜ぶべきことは何でしょうか。毎日のように些細なことで有頂天になったり、落ち込んだりするのは如何にも人間らしいことで、気分の激しい浮き沈みは十代の若者の特権とも言えることだと思います。大人になっていくと、落ち込みが少なくなって気が楽になったと思うこともありますが、嬉しいことがあった時の高揚感も鈍くなり、ちょっと寂しいなあと思うこともあります。

定期試験の初日がまたもやってきました。今日は、皆に上手く解答できて、嬉しい気分になって帰宅して欲しいと思いますが、これほどの人数がいると、そうも行かないのはしかたのないことかもしれません。では、一人残らず、本当に喜ぶべきことは何でしょうか。変な話だと思うかもしれませんが、まずは、東奥義塾の何年何組の名簿に自分の名前が載っていることを喜んでください。つまり、今日何があっても、明日、だれにどのような冷たい視線を浴びせられても、迷うことは一つもありません。誰からも奪われてはならない、あなたの場所がここにあり、あなたの来るべき所はここです。

人の態度や言葉に怯え、自分がここにいてはいけない人間だと絶対に思わないでください。卒業して学校を離れても、その事実は変わりません。あなたの居場所は必ず、どこかにあります。理不尽な嫌がらせに負けることなく、そのことを信じて図太く生きてください。自分の場所を確保し、それを誰にも譲らないでください。いつ、どこで、何があっても、最も喜ぶべきことを自分の手から離さないでください。「あなたがたの名が天に書き記されている。このことを喜びなさい。」

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